わけえなも
というと、気持ちが若いこともですが、考えが若いこともあります。
未熟者ということにもなり、それは私のことです。
今日の反省ですが、林実氏のことを書きます。
松尾とくさんと同じ年代です。いま、桂庵の店のある場所に昭和29
年ごろから、47年の11月4日まで住んでおられました。母屋と続きの
建物ですから、機械の間欠音も響くような間柄でした。
拙著、とうふ屋桂庵の読後感のお便りを頂戴していらい、私は
絶大なる信頼を寄せさせていただいております。
松尾家のことをなによりも、ご存知です。
また、私の子供のころをよくご存知です。
とうふ屋の朝は、とても忙しいのでしょう。
私はよちよち歩きのころ、マヨネーズをかかえては、ここの家に
行き、炊きたてごはんをおかわりしたそうです。
毎日のように来るのに、可愛がってくださったのは、ここの家のひとは
みんな、ええひとやったんやね。
今、母屋の取り壊しで、てんやわんやです。
危険なのですが、どうも、松尾家の大昔のお嬢さんは勇敢で困ります。
すでに、松尾太郎くんが、写真を撮ろうとして転びました。
松尾さいさんは、医者がよいのつきそいでてんてこまいです。
松尾とくさんは、自分の家から、道路に出るのに不便になってます。
みんな、よく働きますが、自分勝手なので、心の行き違いにもなります。
以前は、とうふ屋の仕事が追っかけてくるので、自然にしばし休戦となったのに、、、、。ちょっと只今混戦中です。昔のお嬢さんの私は、みんなに可愛がってもらっただけに、心配していました。
思い切って、林実さんに電話をしました。
明晰な答えです。
<同じところで、生まれ育ち、ずっと仕事をし、住んできたのなら、
一卵性双生児と同じやて。>
なるほど、そのとおりです。年端もいかないお嬢さんたちが、二人して
<おまえのかあちゃん でべそ>と小さなけんかをしているもんや>
と思ったら、可愛くなりました。
小さなことをみんなのみこみ、<わけえなも>といえるような大きな人間になりたいです。
というと、気持ちが若いこともですが、考えが若いこともあります。
未熟者ということにもなり、それは私のことです。
今日の反省ですが、林実氏のことを書きます。
松尾とくさんと同じ年代です。いま、桂庵の店のある場所に昭和29
年ごろから、47年の11月4日まで住んでおられました。母屋と続きの
建物ですから、機械の間欠音も響くような間柄でした。
拙著、とうふ屋桂庵の読後感のお便りを頂戴していらい、私は
絶大なる信頼を寄せさせていただいております。
松尾家のことをなによりも、ご存知です。
また、私の子供のころをよくご存知です。
とうふ屋の朝は、とても忙しいのでしょう。
私はよちよち歩きのころ、マヨネーズをかかえては、ここの家に
行き、炊きたてごはんをおかわりしたそうです。
毎日のように来るのに、可愛がってくださったのは、ここの家のひとは
みんな、ええひとやったんやね。
今、母屋の取り壊しで、てんやわんやです。
危険なのですが、どうも、松尾家の大昔のお嬢さんは勇敢で困ります。
すでに、松尾太郎くんが、写真を撮ろうとして転びました。
松尾さいさんは、医者がよいのつきそいでてんてこまいです。
松尾とくさんは、自分の家から、道路に出るのに不便になってます。
みんな、よく働きますが、自分勝手なので、心の行き違いにもなります。
以前は、とうふ屋の仕事が追っかけてくるので、自然にしばし休戦となったのに、、、、。ちょっと只今混戦中です。昔のお嬢さんの私は、みんなに可愛がってもらっただけに、心配していました。
思い切って、林実さんに電話をしました。
明晰な答えです。
<同じところで、生まれ育ち、ずっと仕事をし、住んできたのなら、
一卵性双生児と同じやて。>
なるほど、そのとおりです。年端もいかないお嬢さんたちが、二人して
<おまえのかあちゃん でべそ>と小さなけんかをしているもんや>
と思ったら、可愛くなりました。
小さなことをみんなのみこみ、<わけえなも>といえるような大きな人間になりたいです。