松尾家は日蓮宗ですが、創価学会の方とも縁があります。
お話を聞く機会もございます。
もとが、<おそっさま>日蓮上人の教えですから、見方をかえてみると、なるほどと
どちらも真理のような気がします。
昭和46年の冬に、松下幸之助氏の茶室<京都、真々庵>に池田大作氏が招待された折の
ことを書きます。
たぶん、間違っていないと思いますが、よろしかったら、どうぞお教えください。
松下幸之助氏は
<小僧時代には、血の小便がでるほど苦労した。
ダメだとおもったことがない。
そして、運がよかった。運がいいと自分で決めている。
そう、思っていると開いていける。>
と、語られたそうです。
これを前向きといわずして、なんでありましょうか?
私は、<松下政経塾のようなもんや>と松尾太郎くん、さいさん、とくさんを、まあ、だまくらかして、木村政雄氏の有名塾に通いましたが、
ここで、学んだことは、<発想の転換>でした。
思えば、流行らない、儲からない店であったことが、とうふ屋桂庵が続けてこられた運でした。
店がヒマでしたから、掃除ばかりしておりましたので、根性だけは鍛えられました。
店がヒマでしたから、とうふ屋のパートも続けられました。
店がヒマでしたので、嫁入り前の娘たち、その友人、その恋人,全てと交流できました。
なによりも、私は運がいいと思っています。
炭手前の淡々と進められていくなかで、お二人は、日本の政治を考え、そのためには、いい人を育てなければと手をとられたそうです。
運がいいと自分で決められることは、循環と似ています。
薪を燃やして、僅かな灰だけを残しても、樹木が生長するための原料として、二酸化炭素を必要とするから、一方的にたまることがないそうです。化石燃料から出る二酸化炭素は、
大気中にたまっていくのだそうです。
炭素分だけが残ったのが、炭であります。練炭火鉢で、黒豆を炊いたのは、私の小学校くらいまでかな?今、ガスにかけて炊いてます。
お話を聞く機会もございます。
もとが、<おそっさま>日蓮上人の教えですから、見方をかえてみると、なるほどと
どちらも真理のような気がします。
昭和46年の冬に、松下幸之助氏の茶室<京都、真々庵>に池田大作氏が招待された折の
ことを書きます。
たぶん、間違っていないと思いますが、よろしかったら、どうぞお教えください。
松下幸之助氏は
<小僧時代には、血の小便がでるほど苦労した。
ダメだとおもったことがない。
そして、運がよかった。運がいいと自分で決めている。
そう、思っていると開いていける。>
と、語られたそうです。
これを前向きといわずして、なんでありましょうか?
私は、<松下政経塾のようなもんや>と松尾太郎くん、さいさん、とくさんを、まあ、だまくらかして、木村政雄氏の有名塾に通いましたが、
ここで、学んだことは、<発想の転換>でした。
思えば、流行らない、儲からない店であったことが、とうふ屋桂庵が続けてこられた運でした。
店がヒマでしたから、掃除ばかりしておりましたので、根性だけは鍛えられました。
店がヒマでしたから、とうふ屋のパートも続けられました。
店がヒマでしたので、嫁入り前の娘たち、その友人、その恋人,全てと交流できました。
なによりも、私は運がいいと思っています。
炭手前の淡々と進められていくなかで、お二人は、日本の政治を考え、そのためには、いい人を育てなければと手をとられたそうです。
運がいいと自分で決められることは、循環と似ています。
薪を燃やして、僅かな灰だけを残しても、樹木が生長するための原料として、二酸化炭素を必要とするから、一方的にたまることがないそうです。化石燃料から出る二酸化炭素は、
大気中にたまっていくのだそうです。
炭素分だけが残ったのが、炭であります。練炭火鉢で、黒豆を炊いたのは、私の小学校くらいまでかな?今、ガスにかけて炊いてます。