朝日新聞 2月27日付けを見て、思い出しました。
NARUMI<鳴海製陶>という、高級洋食器ボーンテャイナの
会社があります。
私は、ここのミラノというシリーズを嫁入り道具にもってきました。
名古屋嫁入り物語のごとく、当時の岐阜でも、トラック3台分の荷物を持っていく時代でした。松尾太郎くんが、精出して働いてくれたおかげです。
結納の20倍の荷物を持っていきましたが、自分で買ったのは、
たぶん、これだけだったかもしれません。
食器棚に並べておくだけでも、ディナーセットには夢がありました。
鳴海製陶は、軍需工場に転用されていた時期もありましたが、1965
年から、ボーンテャイナの製造に本格的に取り組みます。
この時代を生きた方に村上さんという方がおられ、奥様と親しくさせて
いただいたことがあります。九州男児のご主人に仕える新潟のお寺さんの娘さんでした。
ご主人に、お帰りなさいとお迎えして、
<早かったですね>とうっかり言ったら、<早くてわるいか>と返されたそうです。私は子育ての真っ最中で、せっかく、憧れの専業主婦になれたのだからと、一生懸命に家事を覚えていました。
高度経済成長期以来、引き出物に重宝されたのは、洋食器は大きさや
形が均一で、どこのうちの食器棚にも並べやすく、強度が高く、
透明感が、よかったからです。並べてあるだけで、絵になったわけです。
また、百貨店でも並べてあるだけで、絵になったわけです。
オープンストックといって、何年たっても、買い足せること、1個から
始めて、フルセットを25年かけて揃えられるという、純情な乙女の
祈りみたいなものです。5年前に、カップをひとつ、
はじめて割って、高島屋に注文に行きました。飾りですから、調理道具
つまり、レンジにかけたりしませんから、長持ちしたのかもしれませんね。
そんな話から、NARUMIのライバルのSANGOや、
NORITAKEが、実は全部、発祥の地の地名からきていると教わりました。
私も、本町5丁目のとうふ屋を誇りに思っていますから、大切にします。
NARUMI<鳴海製陶>という、高級洋食器ボーンテャイナの
会社があります。
私は、ここのミラノというシリーズを嫁入り道具にもってきました。
名古屋嫁入り物語のごとく、当時の岐阜でも、トラック3台分の荷物を持っていく時代でした。松尾太郎くんが、精出して働いてくれたおかげです。
結納の20倍の荷物を持っていきましたが、自分で買ったのは、
たぶん、これだけだったかもしれません。
食器棚に並べておくだけでも、ディナーセットには夢がありました。
鳴海製陶は、軍需工場に転用されていた時期もありましたが、1965
年から、ボーンテャイナの製造に本格的に取り組みます。
この時代を生きた方に村上さんという方がおられ、奥様と親しくさせて
いただいたことがあります。九州男児のご主人に仕える新潟のお寺さんの娘さんでした。
ご主人に、お帰りなさいとお迎えして、
<早かったですね>とうっかり言ったら、<早くてわるいか>と返されたそうです。私は子育ての真っ最中で、せっかく、憧れの専業主婦になれたのだからと、一生懸命に家事を覚えていました。
高度経済成長期以来、引き出物に重宝されたのは、洋食器は大きさや
形が均一で、どこのうちの食器棚にも並べやすく、強度が高く、
透明感が、よかったからです。並べてあるだけで、絵になったわけです。
また、百貨店でも並べてあるだけで、絵になったわけです。
オープンストックといって、何年たっても、買い足せること、1個から
始めて、フルセットを25年かけて揃えられるという、純情な乙女の
祈りみたいなものです。5年前に、カップをひとつ、
はじめて割って、高島屋に注文に行きました。飾りですから、調理道具
つまり、レンジにかけたりしませんから、長持ちしたのかもしれませんね。
そんな話から、NARUMIのライバルのSANGOや、
NORITAKEが、実は全部、発祥の地の地名からきていると教わりました。
私も、本町5丁目のとうふ屋を誇りに思っていますから、大切にします。