写真は、娘がスペイン(?)のお土産でもらったというインスタントスープです。つぶつぶに見えているのは、パスタのようで、スパゲティを細かくしたようなこつぶパスタです。ショートパスタの一種だと思いますが、どういうパスタなのか名称はちょっとわからず。
外大に行っていた娘の専攻はスワヒリ語で、スペイン語を知らないので解読してもらえず。。。
余談ですが、こういう時、松尾太郎くんは「ちいちゃん(娘の呼び名)、外大に行っとるのになんにも知らんなぁ」と言います。松尾太郎くんの中では、外大に行ったら、世界各国の言語がわかると思っているようで、時にはロシア語、時にはスウェーデン語の書物を持ってきて「訳してくれ」と言われる娘たちは毎回頭を悩ませています。
話は戻ってパスタについて。パスタと言ってすぐに想像するのはやはりスパゲティですが、日本にスパゲティが普及したのは、第二次世界大戦後のこと。しかも、イタリアから直接紹介されたわけではなく、アメリカを経由して。イタリアからアメリカに移住した人々がアメリカで作ったパスタ料理が、大戦後、占領軍を通じて日本に伝わってきたのです。ただ、当時フレッシュトマトは貴重だったし、それを料理に使うという習慣もなかったので、ケチャップで味付けした日本独特の「ナポリタン」が広まりました。更に高度経済成長とともに一気に人気メニューとなりました。「不二家」では昭和30年代、「スパゲティ・ウィンナー・ナポリタン」というメニューがあり、ドミグラスソースとケチャップで炒めたスパゲティにウィンナーをのせ、粉チーズをふってオーブンで焼くというもので、卵は敷いてなかったみたいです。
「ナポリタン」以外に、私はタラコスパも好きです。高校生の時、高島屋に「壁の穴」ができ、そこで初めてタラコスパを食べました。当時の私は、おいしいとわかると、制服のままでも、1人でも平気でレストランに通っていましたから。
外大に行っていた娘の専攻はスワヒリ語で、スペイン語を知らないので解読してもらえず。。。
余談ですが、こういう時、松尾太郎くんは「ちいちゃん(娘の呼び名)、外大に行っとるのになんにも知らんなぁ」と言います。松尾太郎くんの中では、外大に行ったら、世界各国の言語がわかると思っているようで、時にはロシア語、時にはスウェーデン語の書物を持ってきて「訳してくれ」と言われる娘たちは毎回頭を悩ませています。
話は戻ってパスタについて。パスタと言ってすぐに想像するのはやはりスパゲティですが、日本にスパゲティが普及したのは、第二次世界大戦後のこと。しかも、イタリアから直接紹介されたわけではなく、アメリカを経由して。イタリアからアメリカに移住した人々がアメリカで作ったパスタ料理が、大戦後、占領軍を通じて日本に伝わってきたのです。ただ、当時フレッシュトマトは貴重だったし、それを料理に使うという習慣もなかったので、ケチャップで味付けした日本独特の「ナポリタン」が広まりました。更に高度経済成長とともに一気に人気メニューとなりました。「不二家」では昭和30年代、「スパゲティ・ウィンナー・ナポリタン」というメニューがあり、ドミグラスソースとケチャップで炒めたスパゲティにウィンナーをのせ、粉チーズをふってオーブンで焼くというもので、卵は敷いてなかったみたいです。
「ナポリタン」以外に、私はタラコスパも好きです。高校生の時、高島屋に「壁の穴」ができ、そこで初めてタラコスパを食べました。当時の私は、おいしいとわかると、制服のままでも、1人でも平気でレストランに通っていましたから。