おんなもすなることあれど、
と、いうわけで、お花の御稽古について書きます。
私は、中学校3年生のときに、華道クラブという課内クラブ活動で
1週間に1度、池の坊という流派を学びました。
真副体に前あしらい後ろあしらい、ポイントにボリュウームという配置でまなびました。先生は、着物をきた女性で美しいかたでした。
<すなお>という男のかたのような名前でした。
お勤めをしていた娘時代は、川島ゆかりちゃんと男の先生に松月堂古流
というものを学びました。お勤めがハードだったからでしょうか?
1週間に1度の御稽古をよくさぼりました。
お花だけ、もらって帰り、勝手に生けて、善良な松尾とくさんに、お花代だけといっては、売りつけていました。お給料をいただいていても、
娘時代は花盛り。靴も服も、いっぱい欲しいのです。
配偶者が、花というものを学びたいといいだしたので、華道正統則天門という流派の家元に直訴をいたしました。
男が学ぶ華とは、なんぞや?としたら、利休居士の言葉にいきついたからであります。
<花は野にあるように>
自然の姿をそのままに、主人自らの手で楚々と生けられた花は、釜が
奏でる松風の音とともに、人の心を最高にもっていくことでしょう。
そう、思ったからですが、家元がこの人ならと紹介してくださったかたは、
独身の女性でした。
ただし、松尾さいさんと同じ昭和7年生まれでした。水曜日の彼女と
いって楽しんで通学していました。
私は、切り落とされて帰ってくる<はした>の花が愛おしく、また、それゆえに、自由に生けられるのが楽しくて、花器にはとらわれずに、コーヒーカップや、竹の匙などまで、水がためられればOKと楽しんでいました。
また、和花と洋花も勝手次第にとりあわせていました。
婦人画報で拝見した、東京の南青山の風庵は、川瀬敏郎氏に師事したあとに
独立された、鈴木ひろこさんが店長をつとめられておられます。上京のおりには、ぜひとものぞきたいのですが、かなえられません。
川瀬敏郎氏の御実家は、池の坊御用達の花市商店です。
京都六角堂に店を構えて120年くらいの老舗です。独自に畑をもっていますから、季節はずれで、市場に出回っていない花でも手に入れることができます。ここは、何回か足をはこびました。決して、高いという印象がないのが
素晴らしいです。接客よりも、価格よりも、飛び越えた満足があるからでしょう。
池の坊の名のいわれからして、生け花は献花です。
古来の神の依代として、また、仏前には供花という習慣にしろ、心ならずとしてはありえないでしょう。
室町時代に流派は確立されます。精神性をはなれ、装飾性を尊ぶのは近代にはいってからです。松尾家の御先祖さん、私の曾祖父さんが、花をたてた
花器がでてきました。この花器に花をたててくれるのは、うちのスチュワードです。早くに両親と死別した彼は、真に繊細な立て方をいたします。
彼の立て方には、
combinastion based on time and season
一花三季という言葉を思います。
咲きはじめたばかりの花に
今が盛りの花
それに終わりに近い花
人生そのものですが、どの花も美しい。美しくない花はないのです。
ただ、美しさに気がつくのには3つの時期があるのでしょう。
花は女。私は美しいでしょうか?誰や、ここで笑うやっちゃ。
と、いうわけで、お花の御稽古について書きます。
私は、中学校3年生のときに、華道クラブという課内クラブ活動で
1週間に1度、池の坊という流派を学びました。
真副体に前あしらい後ろあしらい、ポイントにボリュウームという配置でまなびました。先生は、着物をきた女性で美しいかたでした。
<すなお>という男のかたのような名前でした。
お勤めをしていた娘時代は、川島ゆかりちゃんと男の先生に松月堂古流
というものを学びました。お勤めがハードだったからでしょうか?
1週間に1度の御稽古をよくさぼりました。
お花だけ、もらって帰り、勝手に生けて、善良な松尾とくさんに、お花代だけといっては、売りつけていました。お給料をいただいていても、
娘時代は花盛り。靴も服も、いっぱい欲しいのです。
配偶者が、花というものを学びたいといいだしたので、華道正統則天門という流派の家元に直訴をいたしました。
男が学ぶ華とは、なんぞや?としたら、利休居士の言葉にいきついたからであります。
<花は野にあるように>
自然の姿をそのままに、主人自らの手で楚々と生けられた花は、釜が
奏でる松風の音とともに、人の心を最高にもっていくことでしょう。
そう、思ったからですが、家元がこの人ならと紹介してくださったかたは、
独身の女性でした。
ただし、松尾さいさんと同じ昭和7年生まれでした。水曜日の彼女と
いって楽しんで通学していました。
私は、切り落とされて帰ってくる<はした>の花が愛おしく、また、それゆえに、自由に生けられるのが楽しくて、花器にはとらわれずに、コーヒーカップや、竹の匙などまで、水がためられればOKと楽しんでいました。
また、和花と洋花も勝手次第にとりあわせていました。
婦人画報で拝見した、東京の南青山の風庵は、川瀬敏郎氏に師事したあとに
独立された、鈴木ひろこさんが店長をつとめられておられます。上京のおりには、ぜひとものぞきたいのですが、かなえられません。
川瀬敏郎氏の御実家は、池の坊御用達の花市商店です。
京都六角堂に店を構えて120年くらいの老舗です。独自に畑をもっていますから、季節はずれで、市場に出回っていない花でも手に入れることができます。ここは、何回か足をはこびました。決して、高いという印象がないのが
素晴らしいです。接客よりも、価格よりも、飛び越えた満足があるからでしょう。
池の坊の名のいわれからして、生け花は献花です。
古来の神の依代として、また、仏前には供花という習慣にしろ、心ならずとしてはありえないでしょう。
室町時代に流派は確立されます。精神性をはなれ、装飾性を尊ぶのは近代にはいってからです。松尾家の御先祖さん、私の曾祖父さんが、花をたてた
花器がでてきました。この花器に花をたててくれるのは、うちのスチュワードです。早くに両親と死別した彼は、真に繊細な立て方をいたします。
彼の立て方には、
combinastion based on time and season
一花三季という言葉を思います。
咲きはじめたばかりの花に
今が盛りの花
それに終わりに近い花
人生そのものですが、どの花も美しい。美しくない花はないのです。
ただ、美しさに気がつくのには3つの時期があるのでしょう。
花は女。私は美しいでしょうか?誰や、ここで笑うやっちゃ。