• 前へ
  • 次へ

玄侑先生⑨<梵行>

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
keian 2011-1-22 17:04
人間は何のために生きているのだろう。動物と人間の違いは何が
違うのか? 動物には希望というものがあるのだろうか?
梵行2010年
シングルカット社刊を読みました。
なによりも、あとがきにピンときました。
先生は、仏さまの様な方です。
少なくとも、私には思えてなりません。
私は、100枚の小説を書いて、本にしたいのです。
本を持っているうちに、欲望があることが梵行であると教えてくれました。
つながればいいと電話をしたら、留守電。なにもいえなかったのに、
鳥居氏から、電話を頂戴することができました。
私は、本当に仏さまに守られています。
偶然も必然も当然も欲望のままです。希望があるから、欲望もあるのです。
<私を覚えていてください>と手紙をださせていただきました。

梵行は性欲をたつ修業とのこと。
私とスチュワードとの関係は性欲をこえたところにあります。
金銭欲もたぶんこえているでしょう。

揖斐の大興寺の講演には同行していますが、
彼の欲望を超えた希望はなんでしょうね?
<濡場>には、反応できなくてごめんなさい。
二人で読んで、楽しむこともできませんでした。ごめんなさい。

彼の、<梵行感>を書いてもらいます。
 欲望は、性欲、食欲、金銭欲があると思うが、動物は性欲、食欲が
ある。梵行は、性欲をたつ修業のことだそうですが
人間の使命は何かなと思った時、何かわからないでが、自然界の掟では
子孫繁栄ではないのかな?色々考えるけど、目先の事を考えると漠然と
ただ生きたいと思うだけで、美味しい物を食べたい、良い物が欲しい
旅行がしたいなど、それには今の世の中はお金がいるので、働いて
お金を作る、働くにしても高収入の方がいい。
また、自分に合った仕事を選ぶと思う。
 しかし、≪ひん≫すれば≪どん≫したときは、ただ、腹を満たしたい
だけだ。

と、書いたところで、頭がパニックになったそうです。
出家は、絶望から希望をみいいだすもの。
性欲も含めて、女の人には、男の人よりも、絶望も少ないのかもしれません。
スチュワードには、難解な小説だったようです。
私も、スチュワードに説明するには、難解な小説でした。

<テルちゃん>2008年新潮社刊
の<フイリッピンのあの卵>を食べる場面の方が、<濡場>
に感じます。食べるという行為が、<濡場>やもん。
私は、自分の書きたい小説に、どうやって、<濡場>を書こうかな?
<鈴虫のえさ>の描写よりも、<オムレツ>の描写の方が、<濡場>に感じます。先生のHPには、梵行の紹介がありますので、このブログをごらんの
皆様もぜひ、開けてみてください。
この小説は、何度も、岐阜市の図書館にリクエストをして、買ってもらいました。
 
〒500-8034 岐阜県岐阜市本町 5-23
TEL : (058)-262-4015
FAX : (058)-262-4015
URL : http://www.k-an.jp
とうふ屋桂庵のご案内
かわら版 カレンダー
« « 2011 1月 » »
26 27 28 29 30 31 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 1 2 3 4 5
女将の著書
Warning [PHP]: opendir(/home/keian/www/keian/modules/d3blog/images/caticon) [function.opendir]: failed to open dir: No such file or directory in file class/xoopslists.php line 113