こなどうふ
なんていうと、粉々になった豆腐をイメージしますが、どうでしょうか?
うちの松尾とくさんは、どんなかけらも、大切にすくいあげて、丸揚げを作っていました。
<これだけのかけらにも、どれだけの豆がかかっている>と米屋から豆腐屋になった明治4年生まれの<とう>という名のお祖母さんに育てられたからです。
全国的にみれば、粉豆腐は3種類有り。
大阪の交野、枚方では、お正月のお雑煮には必ず入れていました。
大根 人参 牛蒡にこいもにくわいを全部輪切りにします。
世の中が丸くゆくようにだそうです。粉豆腐は<かたい、炒らない大豆を粉にひいたもの。汁に入れる10分以上前に水で練っておく>をスプーンで落としいれて行きます。浮き上がったら中まで火が通っています。餅を入れて味噌を入れます。
新潟の妻有郷では、売り物にならないクズ米を粉にして、大豆の打ち豆をいれて、椎茸に人参、黒胡麻にすりおろした山芋をつなぎにして練ります。
これを、棒状にまとめ、15分くらい蒸してから、
輪切りにして揚げます。
揚げたてを塩を振って食べても、甘辛く煮ても、味噌汁にいれてもいいです。妻有郷という名は、東京方面に男の人が出稼ぎに行き、女の人<妻>だけが残っている谷あいの里からきているそうです。
もうひとつは、高野豆腐を粉状にして、パン粉の代わりに使ったり
、オカラの代わりに使ったり、現代のレシピです。
そして、粉豆腐という商品名で売り出されています。
これで作ると、オカラとは味の含みがちがいます。
卵でとじるとおもしろいものになります。
付録
リンクの5L11月号は内田樹氏です。
神戸女学院名誉教授であって武道家です。思想家といっていいほど、いい本をだされ、いい話を聞かせて下さいますが、住吉に道場があって、
合気道6段、居合道3段、杖道3段で生計を立てておられます。
杖道ってなんでしょうか?
中国の唐の時代に、朝鮮の新羅から、はるばる仏法を求めてきた人に、芭蕉と言う人がいます。松尾芭蕉とは別人。
行脚するときの杖から、<公案>を残しています。
<杖を持っているならば、杖を与えよう。持っていないなら、杖を奪う>
持たない杖をどうして奪うのでしょうか?
宗教的真理は逆説的真理?
持っているのは奪われてわかるということでしょうか?
禅宗の<無門関>も読んでみると偉いものですね。
店も失ってみて、初めて、持っていたことに気がつくことにならないように、ブログも続けたいと思っています。
そうそう、私生活では、内田氏は父子家庭でお嬢さんを育て上げた優しい方です。
なんていうと、粉々になった豆腐をイメージしますが、どうでしょうか?
うちの松尾とくさんは、どんなかけらも、大切にすくいあげて、丸揚げを作っていました。
<これだけのかけらにも、どれだけの豆がかかっている>と米屋から豆腐屋になった明治4年生まれの<とう>という名のお祖母さんに育てられたからです。
全国的にみれば、粉豆腐は3種類有り。
大阪の交野、枚方では、お正月のお雑煮には必ず入れていました。
大根 人参 牛蒡にこいもにくわいを全部輪切りにします。
世の中が丸くゆくようにだそうです。粉豆腐は<かたい、炒らない大豆を粉にひいたもの。汁に入れる10分以上前に水で練っておく>をスプーンで落としいれて行きます。浮き上がったら中まで火が通っています。餅を入れて味噌を入れます。
新潟の妻有郷では、売り物にならないクズ米を粉にして、大豆の打ち豆をいれて、椎茸に人参、黒胡麻にすりおろした山芋をつなぎにして練ります。
これを、棒状にまとめ、15分くらい蒸してから、
輪切りにして揚げます。
揚げたてを塩を振って食べても、甘辛く煮ても、味噌汁にいれてもいいです。妻有郷という名は、東京方面に男の人が出稼ぎに行き、女の人<妻>だけが残っている谷あいの里からきているそうです。
もうひとつは、高野豆腐を粉状にして、パン粉の代わりに使ったり
、オカラの代わりに使ったり、現代のレシピです。
そして、粉豆腐という商品名で売り出されています。
これで作ると、オカラとは味の含みがちがいます。
卵でとじるとおもしろいものになります。
付録
リンクの5L11月号は内田樹氏です。
神戸女学院名誉教授であって武道家です。思想家といっていいほど、いい本をだされ、いい話を聞かせて下さいますが、住吉に道場があって、
合気道6段、居合道3段、杖道3段で生計を立てておられます。
杖道ってなんでしょうか?
中国の唐の時代に、朝鮮の新羅から、はるばる仏法を求めてきた人に、芭蕉と言う人がいます。松尾芭蕉とは別人。
行脚するときの杖から、<公案>を残しています。
<杖を持っているならば、杖を与えよう。持っていないなら、杖を奪う>
持たない杖をどうして奪うのでしょうか?
宗教的真理は逆説的真理?
持っているのは奪われてわかるということでしょうか?
禅宗の<無門関>も読んでみると偉いものですね。
店も失ってみて、初めて、持っていたことに気がつくことにならないように、ブログも続けたいと思っています。
そうそう、私生活では、内田氏は父子家庭でお嬢さんを育て上げた優しい方です。