と、メールをいただきました。
茶懐石の最高は<うずみ豆腐>です。
豆腐の味噌汁をかけただけのごはんなのですが、
レシピだ、吸い口や、味噌は何にするや。を云々するよりも、豆腐をきらずに、味噌汁仕立てにすると、うずみ豆腐と2010年9月9日のおひとりさまごはんというブログで師の村上祥子が書いております。
豆腐の味噌汁は、トントンと手のひらの上で豆腐をサイの目に切って、味噌を溶きいれたところに入れますが、豆腐を切らずに入れて、火にかけて、ゆらゆらと、豆腐が動いてきたら、豆腐を器に盛り、汁をはり、吸い口をのせます。
いろいろ、お伝えしたいことがありますので,ちょっと、時間をいただきました。
と、次の日に続きを書いております。
この、HPはよくできているでしょう。こんなこともできて、ブログも続けてこられたのですが、保守管理料が払わなくても済むように作ってもらった分は、不都合もございまして、コメントを下さる皆様にも、御不便をおかけしております。管理者としての私の力不足です。
お間に合いませんでしたら、直接に御連絡くださいませ。
私は、20年前に、今の仕事先で出会ったある方が忘れらずに、コンタクトをとりました。電話番号も番地も?だったので、連絡電報を打ちましたが、岐阜って、ええところやね。電話がかかってきて、るんるん。
豆腐ごはんにもどります。
人と同じで、会いたいと思っていると、合う人があるようで、豆腐とごはんの相性も決まります。
食べ方は嗜好になりますが、味噌汁かけご飯が好きな人って、結構おみえでしょう?
20年前の、牛乳普及協会のコンクールの作品は
<埋美留久>
カッテージチーズはくせがないからと、ごはんに混ぜて炊きました。
低脂肪乳は価格も安いし、乳脂肪のコクがない分だけ、和食に合わせやすいので、だし汁の代わりに使いました。この場合は、煮干しや鰹の動物性のものは合わないので、干椎茸の漬け汁に昆布茶を使いました。そして、大胆にも、煮切り酒を2分の1カップも入れています。
具は、大根に人参、絹ごし豆腐ですが、あさつきと柚子胡椒を吸い口ににしています。
20年前にふつうの主婦にしては、!でしたでしょうか?
大賞は逃しましたが、当時の審査員長の千葉豊吾先生は、<送っていきましょうか?>と声をかけてくださったのです。
もっとも、あの料理の鉄人の岸朝子さんは、<美味しゅうございます>は社交辞令で、困ったときには、<随分、思いきったことをなさいましたね>と
おっしゃったそうですから、審議はわかりません。
翌年のコンクールでは、高齢を理由に、後輩の目黒五十二先生に審査をゆずられましたので、もう、お会いすることもなかったのが残念です。
20年たって、もう一人のステキな方から、電話をいただき、感謝。
茶懐石の最高は<うずみ豆腐>です。
豆腐の味噌汁をかけただけのごはんなのですが、
レシピだ、吸い口や、味噌は何にするや。を云々するよりも、豆腐をきらずに、味噌汁仕立てにすると、うずみ豆腐と2010年9月9日のおひとりさまごはんというブログで師の村上祥子が書いております。
豆腐の味噌汁は、トントンと手のひらの上で豆腐をサイの目に切って、味噌を溶きいれたところに入れますが、豆腐を切らずに入れて、火にかけて、ゆらゆらと、豆腐が動いてきたら、豆腐を器に盛り、汁をはり、吸い口をのせます。
いろいろ、お伝えしたいことがありますので,ちょっと、時間をいただきました。
と、次の日に続きを書いております。
この、HPはよくできているでしょう。こんなこともできて、ブログも続けてこられたのですが、保守管理料が払わなくても済むように作ってもらった分は、不都合もございまして、コメントを下さる皆様にも、御不便をおかけしております。管理者としての私の力不足です。
お間に合いませんでしたら、直接に御連絡くださいませ。
私は、20年前に、今の仕事先で出会ったある方が忘れらずに、コンタクトをとりました。電話番号も番地も?だったので、連絡電報を打ちましたが、岐阜って、ええところやね。電話がかかってきて、るんるん。
豆腐ごはんにもどります。
人と同じで、会いたいと思っていると、合う人があるようで、豆腐とごはんの相性も決まります。
食べ方は嗜好になりますが、味噌汁かけご飯が好きな人って、結構おみえでしょう?
20年前の、牛乳普及協会のコンクールの作品は
<埋美留久>
カッテージチーズはくせがないからと、ごはんに混ぜて炊きました。
低脂肪乳は価格も安いし、乳脂肪のコクがない分だけ、和食に合わせやすいので、だし汁の代わりに使いました。この場合は、煮干しや鰹の動物性のものは合わないので、干椎茸の漬け汁に昆布茶を使いました。そして、大胆にも、煮切り酒を2分の1カップも入れています。
具は、大根に人参、絹ごし豆腐ですが、あさつきと柚子胡椒を吸い口ににしています。
20年前にふつうの主婦にしては、!でしたでしょうか?
大賞は逃しましたが、当時の審査員長の千葉豊吾先生は、<送っていきましょうか?>と声をかけてくださったのです。
もっとも、あの料理の鉄人の岸朝子さんは、<美味しゅうございます>は社交辞令で、困ったときには、<随分、思いきったことをなさいましたね>と
おっしゃったそうですから、審議はわかりません。
翌年のコンクールでは、高齢を理由に、後輩の目黒五十二先生に審査をゆずられましたので、もう、お会いすることもなかったのが残念です。
20年たって、もう一人のステキな方から、電話をいただき、感謝。