宇宙の中の星屑のように小さな粒を核として、砂糖の衣を重ねていった砂糖菓子です。角がかわいらしいです。語源はポルトガル語の「CONFEITO(コンフェイト)」。有平糖と並べて金平糖と当て字されています。焼き米を核として作ったという説もあり、焼き米が黄金色になるところから、金米糖。あるいは、表音による命名とは別に糖花、小鈴糖という表意文字をあてられていました。1569年に宣教師のルイス・フロイスが信長に献上したと言われておりますが、鉄砲伝来1543年、ポルトガル人が種子島に漂着したことを思うと、お菓子のあることは、20年も時間がかかるんやね。岐阜駅前に黄金の像でマントを着ていた信長が「イイコトコトコト、コンペイトウ」とつぶやいて。可愛らしいですね。金平糖は、文化文政1804年~1829年にやっと盛んになります。
ケイアンも作ってみたいと試みているのですが、核を胡麻やけしの実にすることはわかっても、氷砂糖を水に溶かして、煮詰めたところへ、小麦粉を加えるという製法でギブアップしています。
岐阜の護国神社の慰霊祭の神饌は、金平糖です。これは、製造元は大阪でした。
インターネットで調べると、京都に金平糖の専門店があるそうですが、大阪の子どものわらべ歌にこんなものがあります。
“金平糖は甘い、甘いは砂糖、砂糖は白い、白いはうさぎ、うさぎは跳ねる、跳ねるはカエル、カエルは青い、青いは幽霊、幽霊は消える、消えるは蛍光灯、蛍光灯は光る、光るはダイヤ、ダイヤは高い、高いは通天閣”
子どもの中には大人の世界に対する憧れがあるようですね。
豆腐屋では、
“三角、四角、四角は豆腐、豆腐は白い、白いはウサギ、ウサギは跳ねる・・・”
ケイアンは跳ねませんが、下駄を鳴らして頑張っています。
ブログのファンの皆様、ご心配をおかけしました。早く治るように養生に努めます。
<参考>
井原西鶴の「日本永代蔵」では、核が胡麻。「嬉遊笑覧」、「森貞漫稿」では、けしの実。
ケイアンも作ってみたいと試みているのですが、核を胡麻やけしの実にすることはわかっても、氷砂糖を水に溶かして、煮詰めたところへ、小麦粉を加えるという製法でギブアップしています。
岐阜の護国神社の慰霊祭の神饌は、金平糖です。これは、製造元は大阪でした。
インターネットで調べると、京都に金平糖の専門店があるそうですが、大阪の子どものわらべ歌にこんなものがあります。
“金平糖は甘い、甘いは砂糖、砂糖は白い、白いはうさぎ、うさぎは跳ねる、跳ねるはカエル、カエルは青い、青いは幽霊、幽霊は消える、消えるは蛍光灯、蛍光灯は光る、光るはダイヤ、ダイヤは高い、高いは通天閣”
子どもの中には大人の世界に対する憧れがあるようですね。
豆腐屋では、
“三角、四角、四角は豆腐、豆腐は白い、白いはウサギ、ウサギは跳ねる・・・”
ケイアンは跳ねませんが、下駄を鳴らして頑張っています。
ブログのファンの皆様、ご心配をおかけしました。早く治るように養生に努めます。
<参考>
井原西鶴の「日本永代蔵」では、核が胡麻。「嬉遊笑覧」、「森貞漫稿」では、けしの実。