これは、明治10年2月に岐阜市最初の統一消防の結成時代の火消しの道具です。
い・ろ・は・にの4組でしたから、ろの字がはいっていますね。
廃藩置県の断行によって、明治4年に尾州領域の警備組織からの解散ですから、
住んでいる所を守る意識は心意気そのものだったと思われます。
明治4年生まれの曾祖母の話を聞いて育った、松尾家の年寄りの話では、
文久生まれの曽祖父に当たる人は勇壮だったのでしょうか?
戦争中は、松尾太郎くん=私の父は、この纏で焼夷弾を消して守ったのでしょうか?
明治11年建造の母屋を解体するときでさえも、頑として彼は捨てることを拒否していましたが、このたび、やっと納めるところができました。
岐阜市の消防本部です。
上が<ことび>
下が<まとい>
どちらも、消防ポンプがまにあわないときには、たたいてこわして消火した道具です。
消防署に縁があったおかげで、寄贈することができました。
さーくんに、Nさん Aさん Tさん、Nさん、2日がかりで話を聞いて下さってありがとうございます。
ひょっとすると、私の孫が、夏休みの課題に消防所の見学に行く日がきたら、<松尾太郎寄贈>のプレートを目にするかと思えばうれしいです。
い・ろ・は・にの4組でしたから、ろの字がはいっていますね。
廃藩置県の断行によって、明治4年に尾州領域の警備組織からの解散ですから、
住んでいる所を守る意識は心意気そのものだったと思われます。
明治4年生まれの曾祖母の話を聞いて育った、松尾家の年寄りの話では、
文久生まれの曽祖父に当たる人は勇壮だったのでしょうか?
戦争中は、松尾太郎くん=私の父は、この纏で焼夷弾を消して守ったのでしょうか?
明治11年建造の母屋を解体するときでさえも、頑として彼は捨てることを拒否していましたが、このたび、やっと納めるところができました。
岐阜市の消防本部です。
上が<ことび>
下が<まとい>
どちらも、消防ポンプがまにあわないときには、たたいてこわして消火した道具です。
消防署に縁があったおかげで、寄贈することができました。
さーくんに、Nさん Aさん Tさん、Nさん、2日がかりで話を聞いて下さってありがとうございます。
ひょっとすると、私の孫が、夏休みの課題に消防所の見学に行く日がきたら、<松尾太郎寄贈>のプレートを目にするかと思えばうれしいです。