一茂くんからの発信は節分です。
節分は、
宇多天皇の時代に鞍馬山の奥僧正谷なるところの鬼が京に乱入しようとしたので、
3石3升の大豆を煎って、鬼の目をつぶした故事にちなみます。江戸時代から、行事として定着したみたいですね。
器の趣向としては、鬼に福、また枡を用います。
枡は、生活雑器としてどこでも作られていたのですが、現代においては、大垣でまちおこしの気運とともにがんばっております。
松尾家は、日露戦争の年まで、米屋でしたので、たくさんの枡が残っていました。
一升枡の半分をはかるために、対角線にかじめが付けられた珍しいものは、ピカピカにみがいて、へそくりをいれなさいと娘たちに持たせましたし、一斗枡は、3階の自宅に鎮座しております。どれも、米や豆をはかるために、頑丈なかじめがつけられております。
かじめは、金属でできています。
節分は、また、旧暦の24節季のひとつでこの日から春が始まるとされております。
この月は、冴え返って、さらに衣を着ることから、
<きぬさらぎ>といわれ、また、転じて<きさらぎ>になりました。
如月は、身の引き締まる冷気のなかにこそ、一家言有り。
茶席では、<心身一如>の掛け軸がふさわしい。
そんなこんなで、きょうは面白い話をききました。
商売益々繁盛にかけての、枡ではありますが、
本来は、銭取りだけが、商売ではないそうです。
ただ銭を追いかけるのでは、鬼にしかなれません。
銭を追いかけないで、人に合わすのが、商売の極意だそうです。
銭はついてくるもの。仕事をすること。
自分の仕事はなになのか?仕事を知らないことが、一番の銭うしないだそうです。
これを教えていただけたのは、今朝一番の商いで、とうふを一丁買っていただけたからです。こうちゃんの店のジャンボくんの隣の席にいた人です。
ちなみに、こうちゃんは、公私の区別が徹底した上司だそうです。私は、優しいこうちゃんしか知りませんでしたので感激しています。
節分は、
宇多天皇の時代に鞍馬山の奥僧正谷なるところの鬼が京に乱入しようとしたので、
3石3升の大豆を煎って、鬼の目をつぶした故事にちなみます。江戸時代から、行事として定着したみたいですね。
器の趣向としては、鬼に福、また枡を用います。
枡は、生活雑器としてどこでも作られていたのですが、現代においては、大垣でまちおこしの気運とともにがんばっております。
松尾家は、日露戦争の年まで、米屋でしたので、たくさんの枡が残っていました。
一升枡の半分をはかるために、対角線にかじめが付けられた珍しいものは、ピカピカにみがいて、へそくりをいれなさいと娘たちに持たせましたし、一斗枡は、3階の自宅に鎮座しております。どれも、米や豆をはかるために、頑丈なかじめがつけられております。
かじめは、金属でできています。
節分は、また、旧暦の24節季のひとつでこの日から春が始まるとされております。
この月は、冴え返って、さらに衣を着ることから、
<きぬさらぎ>といわれ、また、転じて<きさらぎ>になりました。
如月は、身の引き締まる冷気のなかにこそ、一家言有り。
茶席では、<心身一如>の掛け軸がふさわしい。
そんなこんなで、きょうは面白い話をききました。
商売益々繁盛にかけての、枡ではありますが、
本来は、銭取りだけが、商売ではないそうです。
ただ銭を追いかけるのでは、鬼にしかなれません。
銭を追いかけないで、人に合わすのが、商売の極意だそうです。
銭はついてくるもの。仕事をすること。
自分の仕事はなになのか?仕事を知らないことが、一番の銭うしないだそうです。
これを教えていただけたのは、今朝一番の商いで、とうふを一丁買っていただけたからです。こうちゃんの店のジャンボくんの隣の席にいた人です。
ちなみに、こうちゃんは、公私の区別が徹底した上司だそうです。私は、優しいこうちゃんしか知りませんでしたので感激しています。