一茂くんからの発信は、ジャムポットです。
ジャムを使った料理はないですか?
そもそも、ジャムの起源は、1万年以上前の旧石器時代、フルーツとはちみつを煮詰めたものです。何十とあるスパイスを加えたものは、漢方薬みたいなものだったのかな?
フランスのピレネー地方には、魔法のジャム伝説が語り継がれているそうです。
ブルーッシュという魔女は、とても美味しいんぼで、朝食は、団栗の粉のパンとプラムと野ばらのジャム。ジャムを煮るときに、幸せの呪文をとなえてあるからでしょうか?
このジャムを食べると、幸運が訪れたといいます。
日本には、甘味噌とあんこがあったからでしょうか?
一般的なフルーツのジャムは、文明開化の明治時代からです。文豪森鴎外は、ドイツの衛生学に凝り固まっていて、生の果物は一切食べずに、ジャムかコンポートだったと、娘の茉莉さんが、暮らしの手帳の社長と話しておられます。この方の<すてきなあなたに>というページにも、美味しいジャムの話がいっぱいで、高校生だった私は、夢中になって読んでいました。
ジャムを入れる器をジャムポットというそうですが、小ぶりの蓋ものなら、何でも、さまになります。私は、萩焼に絵付けをなさったことで、ファンになったベアティルピアソン氏の煎茶茶碗を、26年くらい、ジャムディッシュといって使っていました。彼はデンマークの方で、ロイヤルコペンハーゲンの研修生として、日本にみえました。日本人のきさくな奥様が、販売担当でしたが、お元気でしょうか?
ジャムとのコラボなら、明確な数字をあげておきます。好みで、また、ジャムの糖度と
酸度によって調整してください。
ジャム大さじ1にしょうゆなら、大さじ2分の1.味噌なら、大さじ1.
焼き肉のたれもいけます。
鯖の味噌煮もいけます。そういえば、あの<分とくやま>の野崎氏も鯖の味噌煮のレシピでは、最後に酢をいれてバランスをとっておられました。料理に国境はない?
ジャムを使った料理はないですか?
そもそも、ジャムの起源は、1万年以上前の旧石器時代、フルーツとはちみつを煮詰めたものです。何十とあるスパイスを加えたものは、漢方薬みたいなものだったのかな?
フランスのピレネー地方には、魔法のジャム伝説が語り継がれているそうです。
ブルーッシュという魔女は、とても美味しいんぼで、朝食は、団栗の粉のパンとプラムと野ばらのジャム。ジャムを煮るときに、幸せの呪文をとなえてあるからでしょうか?
このジャムを食べると、幸運が訪れたといいます。
日本には、甘味噌とあんこがあったからでしょうか?
一般的なフルーツのジャムは、文明開化の明治時代からです。文豪森鴎外は、ドイツの衛生学に凝り固まっていて、生の果物は一切食べずに、ジャムかコンポートだったと、娘の茉莉さんが、暮らしの手帳の社長と話しておられます。この方の<すてきなあなたに>というページにも、美味しいジャムの話がいっぱいで、高校生だった私は、夢中になって読んでいました。
ジャムを入れる器をジャムポットというそうですが、小ぶりの蓋ものなら、何でも、さまになります。私は、萩焼に絵付けをなさったことで、ファンになったベアティルピアソン氏の煎茶茶碗を、26年くらい、ジャムディッシュといって使っていました。彼はデンマークの方で、ロイヤルコペンハーゲンの研修生として、日本にみえました。日本人のきさくな奥様が、販売担当でしたが、お元気でしょうか?
ジャムとのコラボなら、明確な数字をあげておきます。好みで、また、ジャムの糖度と
酸度によって調整してください。
ジャム大さじ1にしょうゆなら、大さじ2分の1.味噌なら、大さじ1.
焼き肉のたれもいけます。
鯖の味噌煮もいけます。そういえば、あの<分とくやま>の野崎氏も鯖の味噌煮のレシピでは、最後に酢をいれてバランスをとっておられました。料理に国境はない?
創業15年くらいの料理屋さんと、ちょっとしたリンクをつないでおりますが、
毎日、同じお客さんへの出前は、そりゃえれえ。と感嘆されております。
彼は、開業したころ、花板時代のお客様のお母様へ、毎日、刺身を1人前出前をしたことがあるからです。毎日は、値段が決まっているだけに、賄いでないので、結局、赤字になったそうです。違う魚をおろす度に、1人前をとったあとを、どうやって売るかというところが、ネックになるのでしょう。自分の腕に自信のあるひとほど、高級な魚をつかいますから、、、
私は、素人の強みでこわいもの知らずです。ご先祖さんのおかげで、本町5丁目に住むことができ、店を持つことができました。儲かれば嬉しいことこの上ないのですが、それよりも、続いていければいいと思っています。
とうふや、大豆製品とのコラボで、発見があれば、超ラッキー。
先日のお買いものサービスのブログから、料理屋であることを忘れてはいけない、貴女の腕を大切にしなさいと、真心をこめたメールをいただきました。ありがとうございます。
毎日、ひとつ、リクエストを受けております。予算に限りがあるので、あちらの方が遠慮されますので、こちらから提案をします。
海老フライとなりました。
ウスターソースをかけたら定食屋、タルタルソースをかけたら洋食屋。
タルタルソースを、キューピーさんで買うと高いです。海老に原価をかけたいので、
一人分のレシピで作りました。
もとは、海軍の飯はうまいと、義父から聞いていたことからの発想です。
玉ねぎを、小指分くらいの量を丁寧に刻みます。ピクルスの代わりに、ラッキョウと赤色の漬物なら、ミョウガの甘酢でも、福神漬けでも、梅干しでもいいので、同じくらいの量を刻みます。ゆで卵を4分の1個分加えます。マヨネーズを好みの量加えます。泡だて器で混ぜていけば全部つながっていきます。ここがコツ。
宮崎名物のチキン南蛮もOKです。おためしあれ。
毎日、同じお客さんへの出前は、そりゃえれえ。と感嘆されております。
彼は、開業したころ、花板時代のお客様のお母様へ、毎日、刺身を1人前出前をしたことがあるからです。毎日は、値段が決まっているだけに、賄いでないので、結局、赤字になったそうです。違う魚をおろす度に、1人前をとったあとを、どうやって売るかというところが、ネックになるのでしょう。自分の腕に自信のあるひとほど、高級な魚をつかいますから、、、
私は、素人の強みでこわいもの知らずです。ご先祖さんのおかげで、本町5丁目に住むことができ、店を持つことができました。儲かれば嬉しいことこの上ないのですが、それよりも、続いていければいいと思っています。
とうふや、大豆製品とのコラボで、発見があれば、超ラッキー。
先日のお買いものサービスのブログから、料理屋であることを忘れてはいけない、貴女の腕を大切にしなさいと、真心をこめたメールをいただきました。ありがとうございます。
毎日、ひとつ、リクエストを受けております。予算に限りがあるので、あちらの方が遠慮されますので、こちらから提案をします。
海老フライとなりました。
ウスターソースをかけたら定食屋、タルタルソースをかけたら洋食屋。
タルタルソースを、キューピーさんで買うと高いです。海老に原価をかけたいので、
一人分のレシピで作りました。
もとは、海軍の飯はうまいと、義父から聞いていたことからの発想です。
玉ねぎを、小指分くらいの量を丁寧に刻みます。ピクルスの代わりに、ラッキョウと赤色の漬物なら、ミョウガの甘酢でも、福神漬けでも、梅干しでもいいので、同じくらいの量を刻みます。ゆで卵を4分の1個分加えます。マヨネーズを好みの量加えます。泡だて器で混ぜていけば全部つながっていきます。ここがコツ。
宮崎名物のチキン南蛮もOKです。おためしあれ。
花見弁当
有難いことに、うちの松尾とくさん情報によりますと、
お弁当を残された方は一人もいなかったそうです。
出し巻き卵の評判も良く、煮物の味も評判よかったです。
こういった、地味なおかずに心をこめた甲斐がありました。料理の写真をこのブログに掲載するパソコン能力がないことが悔やまれてなりません。
携帯写真をプリントアウトすることはなんとかできますので、興味のある方は、お問い合わせを待っています。
松尾とくさんの点数は80点のこと。合格したわけです。
彼女におねだりをしたら、高島屋の物産展で<木村屋総本店のあんぱん>を合格祝いと買ってきてくれました。ええひとや。足りない20点は、儲けを出さなかったことと、向上を求める心だそうです。
法華寺のお花見弁当は、今回限りということでお引き受けしました。ひとつは、松尾家の御先祖さんへの供養。そして、他の料理屋に対する意地。桂庵へのお客様動員です。
こうちゃんとかかわっていくうちに、あとのふたつが消えました。商売としては、20点減点です。
おしぼりタオルを100本寄付してくれたこうちゃん。ありがとう。
こうちゃんは天涯孤独です。また、献体と登録しています。
長女が、新婚旅行の飛行機の中で、<眉山>という小説を読み、この母を重ね合わせてくれました。私は、嬉しくて徳島まで行ったくらいです。主人公の時代と献体の意味合いも
これだけ、不景気が続くと変わってきます。また、跡取りがなく、寺や墓の守をする人がない時代です。
こうちゃんを、住職夫人に紹介したり、松尾家の墓に案内しているうちに、伊賀上野のお盆の供養を思い出しました。
我が家の仏様ばかりでなく、無縁仏を庭に青竹の花活けを立て、榊に似たびしゃの葉と小菊などを活けるのだそうです。
こうちゃんの戒名を二人で考えました。
<ようぜんいんいちのこうしんし>としましょうか?お精霊さんのときには、松尾家の御先祖さんと、帰ってきてくれるでしょうか?
有難いことに、うちの松尾とくさん情報によりますと、
お弁当を残された方は一人もいなかったそうです。
出し巻き卵の評判も良く、煮物の味も評判よかったです。
こういった、地味なおかずに心をこめた甲斐がありました。料理の写真をこのブログに掲載するパソコン能力がないことが悔やまれてなりません。
携帯写真をプリントアウトすることはなんとかできますので、興味のある方は、お問い合わせを待っています。
松尾とくさんの点数は80点のこと。合格したわけです。
彼女におねだりをしたら、高島屋の物産展で<木村屋総本店のあんぱん>を合格祝いと買ってきてくれました。ええひとや。足りない20点は、儲けを出さなかったことと、向上を求める心だそうです。
法華寺のお花見弁当は、今回限りということでお引き受けしました。ひとつは、松尾家の御先祖さんへの供養。そして、他の料理屋に対する意地。桂庵へのお客様動員です。
こうちゃんとかかわっていくうちに、あとのふたつが消えました。商売としては、20点減点です。
おしぼりタオルを100本寄付してくれたこうちゃん。ありがとう。
こうちゃんは天涯孤独です。また、献体と登録しています。
長女が、新婚旅行の飛行機の中で、<眉山>という小説を読み、この母を重ね合わせてくれました。私は、嬉しくて徳島まで行ったくらいです。主人公の時代と献体の意味合いも
これだけ、不景気が続くと変わってきます。また、跡取りがなく、寺や墓の守をする人がない時代です。
こうちゃんを、住職夫人に紹介したり、松尾家の墓に案内しているうちに、伊賀上野のお盆の供養を思い出しました。
我が家の仏様ばかりでなく、無縁仏を庭に青竹の花活けを立て、榊に似たびしゃの葉と小菊などを活けるのだそうです。
こうちゃんの戒名を二人で考えました。
<ようぜんいんいちのこうしんし>としましょうか?お精霊さんのときには、松尾家の御先祖さんと、帰ってきてくれるでしょうか?