夏も近づく八十八夜
といえども新茶ではなくて、<八十八夜鯛>というのが、一茂くんからの発信です。
これこそは、京会席の達人に教えを乞いたいところです。
鯛のうまみは、各々最高と譲れませんが、なかでも、真鯛の旬は晩春から初夏にかけてです。桜鯛と桜色にかけていますが、これは卒業、入学のお祝いとかけているところもありますし、<大走り新茶>と同じで,希少をのぞむところが、日本人の美学かな?
八十八尾も、鯛が繋がってとれるのかときいてきたのは,熊野灘でオコゼを釣っていた
元焼き鳥屋さんです。
八十八夜は、立春から数えて88日目のこと。
八十八夜鯛をとくに珍重するのは、瀬戸内海で、真鯛の産卵前から産卵期にあたるからです。
鯛の味は、肉質の弾力性と、うまみ成分<アミノ酸、ペプチド、イノシン酸、その他の窒素成分>脂質で決まります。
天然と養殖の差は、タウリンの含有量によりますが、私は調理法次第で養殖に軍配をあげることもあります。
だって、結婚式の鯛の引き出物で、鯛飯を作るのって楽しいやん。
御祝儀と同じくらいの価格で、天然が買えるのですから、話題で楽しんで料理しましょう。
初鰹の5月よりも、戻り鰹の9月の方が好きという殿方もおみえです。
産卵後も外海に去らず、内海で越年する鯛も多く、脂肪ののりは、こちらとのことですから、10月20日のえびす講には、江戸時代より鯛が饗応されております。
そうそう、徳島調理師学校校長の小山裕久氏の店 青柳では、鳴門の鯛をうすくちしょうゆだけで、味付けした名物があります。
その名も<鯛の淡淡>だそうですが、5000円が工面できなくて、食べられませんでした。
お弁当が、22品目で5000円です。、鯛の昆布〆と鳴門鯛の塩焼きがはいります。
鯛と鳴門鯛はどうなるのかな?
駅前の<えび一>もよかったし、徳島ラーメンもこってりとしたとんこつのしょうゆ味で珍しくて!
あたりやの50円の大判焼きもこってりとした餡で珍しくて!(笑)
といえども新茶ではなくて、<八十八夜鯛>というのが、一茂くんからの発信です。
これこそは、京会席の達人に教えを乞いたいところです。
鯛のうまみは、各々最高と譲れませんが、なかでも、真鯛の旬は晩春から初夏にかけてです。桜鯛と桜色にかけていますが、これは卒業、入学のお祝いとかけているところもありますし、<大走り新茶>と同じで,希少をのぞむところが、日本人の美学かな?
八十八尾も、鯛が繋がってとれるのかときいてきたのは,熊野灘でオコゼを釣っていた
元焼き鳥屋さんです。
八十八夜は、立春から数えて88日目のこと。
八十八夜鯛をとくに珍重するのは、瀬戸内海で、真鯛の産卵前から産卵期にあたるからです。
鯛の味は、肉質の弾力性と、うまみ成分<アミノ酸、ペプチド、イノシン酸、その他の窒素成分>脂質で決まります。
天然と養殖の差は、タウリンの含有量によりますが、私は調理法次第で養殖に軍配をあげることもあります。
だって、結婚式の鯛の引き出物で、鯛飯を作るのって楽しいやん。
御祝儀と同じくらいの価格で、天然が買えるのですから、話題で楽しんで料理しましょう。
初鰹の5月よりも、戻り鰹の9月の方が好きという殿方もおみえです。
産卵後も外海に去らず、内海で越年する鯛も多く、脂肪ののりは、こちらとのことですから、10月20日のえびす講には、江戸時代より鯛が饗応されております。
そうそう、徳島調理師学校校長の小山裕久氏の店 青柳では、鳴門の鯛をうすくちしょうゆだけで、味付けした名物があります。
その名も<鯛の淡淡>だそうですが、5000円が工面できなくて、食べられませんでした。
お弁当が、22品目で5000円です。、鯛の昆布〆と鳴門鯛の塩焼きがはいります。
鯛と鳴門鯛はどうなるのかな?
駅前の<えび一>もよかったし、徳島ラーメンもこってりとしたとんこつのしょうゆ味で珍しくて!
あたりやの50円の大判焼きもこってりとした餡で珍しくて!(笑)
物事の始まりは、子供が生まれること。
私も、とうとう、おばあちゃんになりました。
長女の出産は、私が23歳のときで、松尾さいさんは49歳でした。
長女は29歳で、私は52歳、松尾さいさんは78歳です。
この開きは永遠なのですが、次の世代は、いくつになるのかは、未定です。決定的なことは、命は素晴らしいということです。
私の自分勝手で、みなさんが集まってくださいました。
人が集まるということが、一番の幸せです。
サー君の言葉を書きます。
サー君は、消防士です。
<人の命の代わりはないので尊重する。建物は後からつくることもできる。>
暴れん坊将軍の頃の、火消しのたつごろう親分と同じです。
テレビの配役では、北島三郎でしたが、女将の春川ますみとともに、粋でしたね。
私はお金は欲しくてたまりませんが、粋と天秤にかけたら、粋をとります。
御先祖さんが、残してくれたものを、私の代でなくさなければいいと思っていますが、一番残したいものは、粋です。
日露戦争のときに、どうにもまわらなくなった、家業の米屋をとうふ屋にしたのは、<とう>さんという私のひいおばあちゃんです。
とても、働き者でした。時間をとても大切にする人でした。
弱い者に慈悲深い人でした。
近しい血縁が不運なことが重なり、ありませんでした。松尾太郎くんの母である<じゃう>という娘を早くに亡くし、松尾さいさん、松尾とくさんを育てることで、一生を終えた人でした。私は会っていませんが、<甚一>という息子である
祖父に、私は、とても可愛がられて育ちました。
生まれてすぐに亡くなった、<よし>という娘の生まれ変わりと思えてしかたがなかったそうです。この子を自分の不注意で亡くしたことが、一番の発端で、離縁になった人も不幸です。
<赤んぼ>は幸せの象徴です。
小さな手も、なにかをつかもうとしているように思えてなりません。
それは、命の素晴らしさと人の絆でしょうか?
みなさん、ありがとうございます。
私も、とうとう、おばあちゃんになりました。
長女の出産は、私が23歳のときで、松尾さいさんは49歳でした。
長女は29歳で、私は52歳、松尾さいさんは78歳です。
この開きは永遠なのですが、次の世代は、いくつになるのかは、未定です。決定的なことは、命は素晴らしいということです。
私の自分勝手で、みなさんが集まってくださいました。
人が集まるということが、一番の幸せです。
サー君の言葉を書きます。
サー君は、消防士です。
<人の命の代わりはないので尊重する。建物は後からつくることもできる。>
暴れん坊将軍の頃の、火消しのたつごろう親分と同じです。
テレビの配役では、北島三郎でしたが、女将の春川ますみとともに、粋でしたね。
私はお金は欲しくてたまりませんが、粋と天秤にかけたら、粋をとります。
御先祖さんが、残してくれたものを、私の代でなくさなければいいと思っていますが、一番残したいものは、粋です。
日露戦争のときに、どうにもまわらなくなった、家業の米屋をとうふ屋にしたのは、<とう>さんという私のひいおばあちゃんです。
とても、働き者でした。時間をとても大切にする人でした。
弱い者に慈悲深い人でした。
近しい血縁が不運なことが重なり、ありませんでした。松尾太郎くんの母である<じゃう>という娘を早くに亡くし、松尾さいさん、松尾とくさんを育てることで、一生を終えた人でした。私は会っていませんが、<甚一>という息子である
祖父に、私は、とても可愛がられて育ちました。
生まれてすぐに亡くなった、<よし>という娘の生まれ変わりと思えてしかたがなかったそうです。この子を自分の不注意で亡くしたことが、一番の発端で、離縁になった人も不幸です。
<赤んぼ>は幸せの象徴です。
小さな手も、なにかをつかもうとしているように思えてなりません。
それは、命の素晴らしさと人の絆でしょうか?
みなさん、ありがとうございます。
ぶしつけにもお便り申し上げます。
幸庵様よりおうわさ存じあげております。
お目もじしとうございますので、
私の店のことなど、あつかましくも紹介させてください。
私はとうふ屋の娘で、今年五十二才になります。当時の配偶者のおかげで柳ヶ瀬に店を持つことができ、二年目にこうして自宅を店につくりかえることができました。私の思いは縁あって本を出すことができ、そのまえがきにも書きましたが、なんらかの形でとうふ屋を残したかったに尽きます。
商売のかこくさは、わずかながらも身についておりますが、あえて完全予約一客一亭でさせていただいております。
ゆき様のお話をうかがっていると、料理と同じ心をさしだす女のもてなしを感じます。
ぜひ一度おでかけ下さいませんか。
私はお目もじしとうございます。
平成二十二年五月二十八日
岐阜市本町五丁目二十三番地
とうふ屋 桂庵
松尾 桂子
追伸
ゆき様、かわいらしくておやさしい方。
幸庵様より静岡まで治療に連れて行ってくださったとのこと、くれぐれもよろしくお伝えください。
こんな手紙をしたためることもございます。私は人が大好きです。
行動は大胆だけど、心は繊細やといってくださった殿方がおみえですが、すぐに傷つくくせに、すぐに、人とかかわりを持ちたくなります。自分勝手ですので、誤解を受けることの方が多いです。それでも、店を持って、人との出会いがあることがなによりも嬉しいのです。
畠中恵氏の言葉を
<まんまこと>から、ひきだせば、
近所ともめごとを起こさずに、金を踏み倒さず、誰にでも親切な者であること。
これが、岐阜という町で客商売をしていくことだと思います。
誰にでも親切なつもりでいますが、私は、自分の不愉快をすぐに、顔に表す欠点があります。私の顔は四角で、眉がはっきりしていて、目もパッチリしています。鼻は残念ながらすわりがよくても低いです。自分の気分で、目が垂れているそうです。これから、鏡と相談します。笑笑笑
幸庵様よりおうわさ存じあげております。
お目もじしとうございますので、
私の店のことなど、あつかましくも紹介させてください。
私はとうふ屋の娘で、今年五十二才になります。当時の配偶者のおかげで柳ヶ瀬に店を持つことができ、二年目にこうして自宅を店につくりかえることができました。私の思いは縁あって本を出すことができ、そのまえがきにも書きましたが、なんらかの形でとうふ屋を残したかったに尽きます。
商売のかこくさは、わずかながらも身についておりますが、あえて完全予約一客一亭でさせていただいております。
ゆき様のお話をうかがっていると、料理と同じ心をさしだす女のもてなしを感じます。
ぜひ一度おでかけ下さいませんか。
私はお目もじしとうございます。
平成二十二年五月二十八日
岐阜市本町五丁目二十三番地
とうふ屋 桂庵
松尾 桂子
追伸
ゆき様、かわいらしくておやさしい方。
幸庵様より静岡まで治療に連れて行ってくださったとのこと、くれぐれもよろしくお伝えください。
こんな手紙をしたためることもございます。私は人が大好きです。
行動は大胆だけど、心は繊細やといってくださった殿方がおみえですが、すぐに傷つくくせに、すぐに、人とかかわりを持ちたくなります。自分勝手ですので、誤解を受けることの方が多いです。それでも、店を持って、人との出会いがあることがなによりも嬉しいのです。
畠中恵氏の言葉を
<まんまこと>から、ひきだせば、
近所ともめごとを起こさずに、金を踏み倒さず、誰にでも親切な者であること。
これが、岐阜という町で客商売をしていくことだと思います。
誰にでも親切なつもりでいますが、私は、自分の不愉快をすぐに、顔に表す欠点があります。私の顔は四角で、眉がはっきりしていて、目もパッチリしています。鼻は残念ながらすわりがよくても低いです。自分の気分で、目が垂れているそうです。これから、鏡と相談します。笑笑笑
きんぴらごぼうのリクエストがありました。
歯のわるい殿方ですが、喜んでいただけたかどうか?私の懺悔もふくめて書きます。
皆様のご意見賜りたく存じます。
きんぴらごぼうは、江戸時代初期の、坂田金時の子供で、金平さんの剛勇さになぞらえてできた料理で、浄瑠璃人気とともに、庶民のお惣菜として一世風靡しました。
注、坂田金時は5月のお節句の人気者の金太郎さんのこと。
金太郎さんは、気は優しくて力持ち。色男は、金も力もありませんが、働く力があるだけ、女が頼るだけの力があると、私の顔をみては、きんたろうちゃんという殿方が、きんぴらごぼうを召し上がりました。残されたので、私は不安に思ったのですが、美味しくて、とっときたかったのだそうです。懐石のお店みたいに下げないで、最後までお膳に残しておいてほしいとのことでした。料理屋冥利につきます。感謝。
きんぴらの味と照りは、油と砂糖、しょうゆ、みりんなどがはいり、リズミカルに強めの火でふたをしないことが、ポイントです。
ただ、ごぼうの切り方は、千切りと笹がきで、歯あたりがちがってきます。
私は、千切りが苦手なうえに、笹がきも大雑把です。
うちの、松尾とくさんは、ていねいにささがくのでかないません。かんなで削ったかつおぶしのようにかろやかです。
京会席の達人に、あとからお聞きしたら、ごぼうを5㎝ぐらいに切って、それを縦に揃えて、千切りにするとのこと。縦に揃えるときは、菜切り包丁を寝かせてそいでいく感じですが、いくらみていても、ためいきでるほど素敵であきません。それで、感動していては、私の腕はいっこうにあがりません。
ごぼうを酢水につけ、あくぬきをしますが、<名人ほど、カンで正確な分量>
料理書には、少しという表記が多いですが、酢の量は3%としましょう。
時間は、決めない方がいいです。
これこそ、作る人の心がけです。
また、そのあとで、ごぼうをゆでこぼすのも、作る人のこころがけです。
歯のわるい殿方ですが、喜んでいただけたかどうか?私の懺悔もふくめて書きます。
皆様のご意見賜りたく存じます。
きんぴらごぼうは、江戸時代初期の、坂田金時の子供で、金平さんの剛勇さになぞらえてできた料理で、浄瑠璃人気とともに、庶民のお惣菜として一世風靡しました。
注、坂田金時は5月のお節句の人気者の金太郎さんのこと。
金太郎さんは、気は優しくて力持ち。色男は、金も力もありませんが、働く力があるだけ、女が頼るだけの力があると、私の顔をみては、きんたろうちゃんという殿方が、きんぴらごぼうを召し上がりました。残されたので、私は不安に思ったのですが、美味しくて、とっときたかったのだそうです。懐石のお店みたいに下げないで、最後までお膳に残しておいてほしいとのことでした。料理屋冥利につきます。感謝。
きんぴらの味と照りは、油と砂糖、しょうゆ、みりんなどがはいり、リズミカルに強めの火でふたをしないことが、ポイントです。
ただ、ごぼうの切り方は、千切りと笹がきで、歯あたりがちがってきます。
私は、千切りが苦手なうえに、笹がきも大雑把です。
うちの、松尾とくさんは、ていねいにささがくのでかないません。かんなで削ったかつおぶしのようにかろやかです。
京会席の達人に、あとからお聞きしたら、ごぼうを5㎝ぐらいに切って、それを縦に揃えて、千切りにするとのこと。縦に揃えるときは、菜切り包丁を寝かせてそいでいく感じですが、いくらみていても、ためいきでるほど素敵であきません。それで、感動していては、私の腕はいっこうにあがりません。
ごぼうを酢水につけ、あくぬきをしますが、<名人ほど、カンで正確な分量>
料理書には、少しという表記が多いですが、酢の量は3%としましょう。
時間は、決めない方がいいです。
これこそ、作る人の心がけです。
また、そのあとで、ごぼうをゆでこぼすのも、作る人のこころがけです。
随分に、意味深長なタイトルですが、
これを、胸キュンといいます。
うちの松尾とくさんは、ほがらかな女性です。
昼下がりの情事のかわりに、<はぐれ刑事純情派>の再放送を楽しんでいます。
所用があって訪問しても、<いま、ええとこやであかん>といいます。
もっとも、後から、<なんやったん>と到来物のお菓子などをくれます。
雨降りは目方が増えるのが悩みです。空気が湿る分だけ、私も濡れるのでしょうか?
おまけに、雨降りは、酒の吸収が別物になりそうです。アルコールの影響で、血糖値が下がり、その状態を解消しようと無性にたべたくなります。京塚昌子さんという女優さんは、<目方で勝負の超越美人?>でしたが、50代以上の方なら、<肝っ玉かあさん>と覚えていらっしゃるかな?<栗鹿の子>という缶詰が大好物でした。私も、このお菓子は大好きですが、ちょっとお高いので、高島屋でみかけても、なかなか買えなくて幸せです。
ベルレーヌの詩ではありますが、
<巷に雨が降るごとく、われの心に雨が降る>と感傷的になり、なまじ、珈琲、紅茶をブラックで飲む習慣があるだけに、スイーツの大人買いに子供食べで、気がついたら、ひと箱は軽いことになって、食べた分の10倍で目方が増えます。
呑むと食べられないというお客様は、痩せた方で喫煙をされてますね。
私は、火をつけることはしても、吸うことことがありませんのでムリ。
若い人と
<濡れる>談義をしていて、ドライとウエットの是否になりました。
ちなみに、配偶者はドライなくせに、ウエットな女に弱いタイプでしたが、バトルの被害甚大でした。双方とも、よく戦ったものですね。店を持ってみると、ウエットな男性は苦手の範疇。
京女の東男といいいますが、美濃の男に美濃の女はこれに該当するかな?
もっとも、美濃と飛騨はどうかといわれれば答えに窮します。
しっとりといえば好き、ねっとりといえば嫌いと、いい女の定義も難しく、片想いです。
これを、胸キュンといいます。
うちの松尾とくさんは、ほがらかな女性です。
昼下がりの情事のかわりに、<はぐれ刑事純情派>の再放送を楽しんでいます。
所用があって訪問しても、<いま、ええとこやであかん>といいます。
もっとも、後から、<なんやったん>と到来物のお菓子などをくれます。
雨降りは目方が増えるのが悩みです。空気が湿る分だけ、私も濡れるのでしょうか?
おまけに、雨降りは、酒の吸収が別物になりそうです。アルコールの影響で、血糖値が下がり、その状態を解消しようと無性にたべたくなります。京塚昌子さんという女優さんは、<目方で勝負の超越美人?>でしたが、50代以上の方なら、<肝っ玉かあさん>と覚えていらっしゃるかな?<栗鹿の子>という缶詰が大好物でした。私も、このお菓子は大好きですが、ちょっとお高いので、高島屋でみかけても、なかなか買えなくて幸せです。
ベルレーヌの詩ではありますが、
<巷に雨が降るごとく、われの心に雨が降る>と感傷的になり、なまじ、珈琲、紅茶をブラックで飲む習慣があるだけに、スイーツの大人買いに子供食べで、気がついたら、ひと箱は軽いことになって、食べた分の10倍で目方が増えます。
呑むと食べられないというお客様は、痩せた方で喫煙をされてますね。
私は、火をつけることはしても、吸うことことがありませんのでムリ。
若い人と
<濡れる>談義をしていて、ドライとウエットの是否になりました。
ちなみに、配偶者はドライなくせに、ウエットな女に弱いタイプでしたが、バトルの被害甚大でした。双方とも、よく戦ったものですね。店を持ってみると、ウエットな男性は苦手の範疇。
京女の東男といいいますが、美濃の男に美濃の女はこれに該当するかな?
もっとも、美濃と飛騨はどうかといわれれば答えに窮します。
しっとりといえば好き、ねっとりといえば嫌いと、いい女の定義も難しく、片想いです。
とっても心配していましたが、この商売は水商売というくらい、みずくさくなくては
続きません。心とはうらはらに、顔にはださないで、口だけはつよがりをいっていました。
一茂くんからの発信がなくて、こちらからも連絡がつかないとなると、不安をとおりこしてしまいます。いつ、別離があっても、出発だと思えるように、悔いを残さないおつきあいにしたいですね。
私は、金の迷惑だけは、誰にも残さないと決めています。だから、売掛金もなければ、買掛金もありません。もっとも、信用がないからだといった同業者もおみえですから、商売としては褒めたことではありません。3か月先まで、持ちこたえられようにしなければ
アカンわ。
ヘンケルの燻製器についてかきます。
ヘンケルの商品は、一生モノです。価格が高くても、自分が使い続けるかぎり、長持ちします。私は、キッチン鋏を4分の1世紀以上使っていますが、びくともしません。半世紀は保証します。お店は1代30年として考えます。後、22年で30年となります。
もし、桂庵を引き継いでくれる人がいたら、ヘンケルのモノは譲渡かな?
燻製には3段階あります。
熱燻 80~120度 30~60分 スモークドチキン、スモークドスペアリブ
温燻 50~60度 60分 生ベーコン カキ ホタテ
冷燻 25度以下 60分~120分 熱を伝えず煙のみだけかける 生ハム スモークサーモン パストラミー
もっとも、道具がなくても、塩豚を作っておけば、うまいものが作れます。
豚バラ肉、ブロックで500グラムに
塩大さじ3 砂糖大さじ1、白胡椒小さじ4分の1 ローリエ1枚をつぶして混ぜて、すりこみ、1キロの重しをかけて、まる1日以上冷蔵。塩を洗ってふいて保存。
米4分の1カップとザラメ糖大さじ1 紅茶大さじ1 ローリエ1枚を厚手の鍋に敷き、餅焼き網でも折って、二つ切りの塩豚をのせ、煙が出るまでは強火、火を落として40分燻煙します。
あと始末を考えて、アルミ箔をお忘れなく。
続きません。心とはうらはらに、顔にはださないで、口だけはつよがりをいっていました。
一茂くんからの発信がなくて、こちらからも連絡がつかないとなると、不安をとおりこしてしまいます。いつ、別離があっても、出発だと思えるように、悔いを残さないおつきあいにしたいですね。
私は、金の迷惑だけは、誰にも残さないと決めています。だから、売掛金もなければ、買掛金もありません。もっとも、信用がないからだといった同業者もおみえですから、商売としては褒めたことではありません。3か月先まで、持ちこたえられようにしなければ
アカンわ。
ヘンケルの燻製器についてかきます。
ヘンケルの商品は、一生モノです。価格が高くても、自分が使い続けるかぎり、長持ちします。私は、キッチン鋏を4分の1世紀以上使っていますが、びくともしません。半世紀は保証します。お店は1代30年として考えます。後、22年で30年となります。
もし、桂庵を引き継いでくれる人がいたら、ヘンケルのモノは譲渡かな?
燻製には3段階あります。
熱燻 80~120度 30~60分 スモークドチキン、スモークドスペアリブ
温燻 50~60度 60分 生ベーコン カキ ホタテ
冷燻 25度以下 60分~120分 熱を伝えず煙のみだけかける 生ハム スモークサーモン パストラミー
もっとも、道具がなくても、塩豚を作っておけば、うまいものが作れます。
豚バラ肉、ブロックで500グラムに
塩大さじ3 砂糖大さじ1、白胡椒小さじ4分の1 ローリエ1枚をつぶして混ぜて、すりこみ、1キロの重しをかけて、まる1日以上冷蔵。塩を洗ってふいて保存。
米4分の1カップとザラメ糖大さじ1 紅茶大さじ1 ローリエ1枚を厚手の鍋に敷き、餅焼き網でも折って、二つ切りの塩豚をのせ、煙が出るまでは強火、火を落として40分燻煙します。
あと始末を考えて、アルミ箔をお忘れなく。
えんどうをいただきました。
とうふ屋は大豆が命ですが、他の豆も大好きです。たぶん、料理することも上手だと思いますので書きます。
豆ご飯の極意。
えんどう豆だけを炊きこんだものは、青々とした鮮やかな色がすがすがしい。
もち米を混ぜると歯ざわりがよく、食欲をそそります。
えんどう豆1カップに米3カップ、もち米は米の2割ぐらいを交換。
えんどう豆の下ごしらえとして、塩水に一晩つけておき、酒、みりん、塩、砂糖などで下煮しておきます。米の水位と相談しながら、煮汁で味付けします。
炊きこみご飯の、塩分量は0.8%ですが、ややこしく考えなければ、2カップの米に塩小さじ1です。これをしょうゆだけにすると、大さじ1です。
彩りを考えて、しょうゆと塩の量はそれぞれに変換しましょう。
前日からの下ごしらえなんてムリの方のために、
1、 はじめから、米と炊きこむ。豆の色はあせるが、ご飯全体に豆風味が一杯。
2、 ご飯は普通にたいて、別にゆでた豆を混ぜる。豆の色は青く、ご飯の味わいはさっぱりとしている。
3、 その中間で、豆をゆでた汁でご飯を炊き、豆を後から加える。
其々に美味しいですよ。おためしあれ。
私の小学校1年生の初めての遠足は畜産センターに徒歩でした。
記念すべきお弁当は、豆ご飯にウインナーいためとゆで卵でした。
松尾さいさんは、その頃に流行っていた<子の日>という店で働いていた方から、味の素を加えることを秘密と教わり、塩加減は吸い物加減よりも、少しだけ濃くと教えてくれました。この少しだけというところが、主婦の年季、いってみれば気分かな?
美味しいものを作るには作る人の気分が影響します。
じゃ、食べる人の気分はどうかというと、素敵なお客様ですが、必ず、炊きこみご飯に、塩とかしょうゆを少したらしてお召し上がりになります。
一度、真似をして食べたことがありますが、なるほど気分ですね。
<金払う奴が偉い>と素直に納得するには、年季も気分也。
とうふ屋は大豆が命ですが、他の豆も大好きです。たぶん、料理することも上手だと思いますので書きます。
豆ご飯の極意。
えんどう豆だけを炊きこんだものは、青々とした鮮やかな色がすがすがしい。
もち米を混ぜると歯ざわりがよく、食欲をそそります。
えんどう豆1カップに米3カップ、もち米は米の2割ぐらいを交換。
えんどう豆の下ごしらえとして、塩水に一晩つけておき、酒、みりん、塩、砂糖などで下煮しておきます。米の水位と相談しながら、煮汁で味付けします。
炊きこみご飯の、塩分量は0.8%ですが、ややこしく考えなければ、2カップの米に塩小さじ1です。これをしょうゆだけにすると、大さじ1です。
彩りを考えて、しょうゆと塩の量はそれぞれに変換しましょう。
前日からの下ごしらえなんてムリの方のために、
1、 はじめから、米と炊きこむ。豆の色はあせるが、ご飯全体に豆風味が一杯。
2、 ご飯は普通にたいて、別にゆでた豆を混ぜる。豆の色は青く、ご飯の味わいはさっぱりとしている。
3、 その中間で、豆をゆでた汁でご飯を炊き、豆を後から加える。
其々に美味しいですよ。おためしあれ。
私の小学校1年生の初めての遠足は畜産センターに徒歩でした。
記念すべきお弁当は、豆ご飯にウインナーいためとゆで卵でした。
松尾さいさんは、その頃に流行っていた<子の日>という店で働いていた方から、味の素を加えることを秘密と教わり、塩加減は吸い物加減よりも、少しだけ濃くと教えてくれました。この少しだけというところが、主婦の年季、いってみれば気分かな?
美味しいものを作るには作る人の気分が影響します。
じゃ、食べる人の気分はどうかというと、素敵なお客様ですが、必ず、炊きこみご飯に、塩とかしょうゆを少したらしてお召し上がりになります。
一度、真似をして食べたことがありますが、なるほど気分ですね。
<金払う奴が偉い>と素直に納得するには、年季も気分也。
お弁当の先発メンバー
共稼ぎの若い人とお茶をしました。
長続きするお弁当のコツは、
定番とええかっこしいと献立を使い分けることだそうです。
どれだけ、時間がなくてもできるメニューは、ブロッコリーとプティトマトと卵焼きだそうです。卵焼きの中身を変えるのがコツだそうです。
ねぎ、シーチキン、かにかま、海苔。
海苔のときだけは、砂糖、しょうゆ、酒で
ねぎのときだけは、塩に味の素。
他は、油や旨味を引き立てるつもりで塩のみで調味するそうです。
けっこう、独身の殿方がみているので、美味しくても、しょうゆのかった茶色の卵焼きは、自宅用だそうです。
卵とじも定番だそうです。親子どんぶりの具のみという感覚で、残っても夕食用になると、
卵4個分をつくるそうです。
ここで、桂庵のレシピを伝授します。
だし1カップに砂糖とみりん、大さじ2、しょうゆ4分の1カップをひと煮立ちさせると、280CCになります。卵1個分に70CC.これが丼用です。
汁だくが流行のこともあるかもしれませんが、多過ぎて、白いご飯がべちゃべちゃは?
少なくて、作りたすのも?
だしの量を半量にすると、弁当用にいいかな。
それとも、弁当用には、とろろこぶを下に敷くのもおすすめ。汁だくで、となりのおかずを邪魔することなく、とろろこぶも美味しく食べられます。
若い人は、朝は、大きいものを分解するような包丁使いがないことと、皮むいて下ゆでがないことだそうです。
また、大根1本なんかは、前日の夕食のときに、まとめて調理しておくことで、休日に買い出しのときに、ほぼ計画的に考えるそうです。<ほぼ>がポイントというのは、平日の調理は妻で、休日は夫、それぞれが自分の食べたいものを優先だそうですから。
また、冷凍のハンバーグを、しょうゆ、砂糖、しょうゆ、水、各4分の1カップで煮切り、いりごまをたっぷりとまぶすそうです。食べさせてもらいましたが、冷凍食品のくせがなくなり、美味しかったですよ。
共稼ぎの若い人とお茶をしました。
長続きするお弁当のコツは、
定番とええかっこしいと献立を使い分けることだそうです。
どれだけ、時間がなくてもできるメニューは、ブロッコリーとプティトマトと卵焼きだそうです。卵焼きの中身を変えるのがコツだそうです。
ねぎ、シーチキン、かにかま、海苔。
海苔のときだけは、砂糖、しょうゆ、酒で
ねぎのときだけは、塩に味の素。
他は、油や旨味を引き立てるつもりで塩のみで調味するそうです。
けっこう、独身の殿方がみているので、美味しくても、しょうゆのかった茶色の卵焼きは、自宅用だそうです。
卵とじも定番だそうです。親子どんぶりの具のみという感覚で、残っても夕食用になると、
卵4個分をつくるそうです。
ここで、桂庵のレシピを伝授します。
だし1カップに砂糖とみりん、大さじ2、しょうゆ4分の1カップをひと煮立ちさせると、280CCになります。卵1個分に70CC.これが丼用です。
汁だくが流行のこともあるかもしれませんが、多過ぎて、白いご飯がべちゃべちゃは?
少なくて、作りたすのも?
だしの量を半量にすると、弁当用にいいかな。
それとも、弁当用には、とろろこぶを下に敷くのもおすすめ。汁だくで、となりのおかずを邪魔することなく、とろろこぶも美味しく食べられます。
若い人は、朝は、大きいものを分解するような包丁使いがないことと、皮むいて下ゆでがないことだそうです。
また、大根1本なんかは、前日の夕食のときに、まとめて調理しておくことで、休日に買い出しのときに、ほぼ計画的に考えるそうです。<ほぼ>がポイントというのは、平日の調理は妻で、休日は夫、それぞれが自分の食べたいものを優先だそうですから。
また、冷凍のハンバーグを、しょうゆ、砂糖、しょうゆ、水、各4分の1カップで煮切り、いりごまをたっぷりとまぶすそうです。食べさせてもらいましたが、冷凍食品のくせがなくなり、美味しかったですよ。
上の娘は臨月で、ハラハラの毎日です。
彼女は、身二つとなるとすぐに、シンガポールに旅立ちます。
親としては、心配なことはこのうえないのですが、唯一のとりえは、この母譲りの度胸と
食べ物に偏見をもたないことがあるので、わざと、ラフに考えています。
シンガポールはええとこやと、りえさんがメールをくださいました。
東大卒の外交官のカッコイイ従兄がおみえですが、、伯母は、シンガポールの赴任中はよほど、気にいられたのかな?喜寿をこえても、1か月は逗留されていたそうです。
この機会にと、松尾さいさんに、シンガポール旅行を勧めたら、思わぬことでご機嫌斜めで。カットされました。
母屋を建て替え中ですが、大工さんに奥さんでなく、おばあさんと呼ばれたのがあかん。
ひ孫が生まれるのに、女心は可愛いもんですね。
シンガポールでは、<しらす>を<銀魚>と南洋華人によって、日常的に食べられているそうです。
味も形も日本と同じ。
ただ、甘辛く煮ても、日本のちりめん山椒と異なり、ピーナッツが入ります。
もっとも、八百屋で買ってきた、<くるみちりめん>という佃煮もありますから、美味しい体験は、盛りつけとあしらいがちがうだけかな?
そのまま、のせて食べても、日本なら、大根おろしのところが、おかゆだったりです。
もっとも、師の村上祥子のところで、朝食をいただいた折に、鰻の蒲焼の下に、しらすが敷いてありました。これは新鮮で美味しかったですね。ただ、この鰻の蒲焼は、冷凍であっても、脂が焼き切ったタイプがベスト。
私は、いまでも、ふっくら蒸しあげタイプの蒲焼は苦手です。
鰻の蒲焼のたれで、淡泊な鶏の胸肉をソテーしたものを、食べさせていただいたこともありますが、これは、作ってくれた人を私が大好きなこともあって、とても美味しく感じました。
食べることを大切にすることは、恋することと似ているかな?
今日のお客様にも、恋するつもりでサプライズを考えます。感謝。
彼女は、身二つとなるとすぐに、シンガポールに旅立ちます。
親としては、心配なことはこのうえないのですが、唯一のとりえは、この母譲りの度胸と
食べ物に偏見をもたないことがあるので、わざと、ラフに考えています。
シンガポールはええとこやと、りえさんがメールをくださいました。
東大卒の外交官のカッコイイ従兄がおみえですが、、伯母は、シンガポールの赴任中はよほど、気にいられたのかな?喜寿をこえても、1か月は逗留されていたそうです。
この機会にと、松尾さいさんに、シンガポール旅行を勧めたら、思わぬことでご機嫌斜めで。カットされました。
母屋を建て替え中ですが、大工さんに奥さんでなく、おばあさんと呼ばれたのがあかん。
ひ孫が生まれるのに、女心は可愛いもんですね。
シンガポールでは、<しらす>を<銀魚>と南洋華人によって、日常的に食べられているそうです。
味も形も日本と同じ。
ただ、甘辛く煮ても、日本のちりめん山椒と異なり、ピーナッツが入ります。
もっとも、八百屋で買ってきた、<くるみちりめん>という佃煮もありますから、美味しい体験は、盛りつけとあしらいがちがうだけかな?
そのまま、のせて食べても、日本なら、大根おろしのところが、おかゆだったりです。
もっとも、師の村上祥子のところで、朝食をいただいた折に、鰻の蒲焼の下に、しらすが敷いてありました。これは新鮮で美味しかったですね。ただ、この鰻の蒲焼は、冷凍であっても、脂が焼き切ったタイプがベスト。
私は、いまでも、ふっくら蒸しあげタイプの蒲焼は苦手です。
鰻の蒲焼のたれで、淡泊な鶏の胸肉をソテーしたものを、食べさせていただいたこともありますが、これは、作ってくれた人を私が大好きなこともあって、とても美味しく感じました。
食べることを大切にすることは、恋することと似ているかな?
今日のお客様にも、恋するつもりでサプライズを考えます。感謝。
ベンチャーズの曲ですが、覚えていますか?
とった,とった、とった、とたた、つつつーつつ てけてけてけてん。
と、私には聞こえます。とても、気に入っているので、桂庵の有線で、毎日、
必ずリクエストをしています。そして、誰も見てないことを確認して、踊ることにしています。エレキギターの音色は、ウキウキダイエットになるかな?
あるお客様は、大阪電気通信高校3年の文化祭で、この曲を弾かれたとのことです。当時は、土方のアルバイトがあり、中学の同級生と誘いあって、夏休みの20日間、
朝8時から夕5時まで働いて、エレキギターを買ったそうです。
練習は、週1日で、指導者もなく、楽譜もなかったそうですが、情熱があったのでしょう。
倉庫で練習し、楽譜を立ち読みして、覚えたそうです。
生活があって、転居を繰り返すなかで、40年忘れていたとのこと。
世話焼き桂庵の情熱がムクムク起動。
私の初恋の人は、35年前に、トヨタ勤務の傍ら、ありんこバンドといって、アリスの前座をしていました。連絡をとって、エレキギターをお客様に弾かせてあげて欲しいと頼みました。奥様にお願いしたら、息子さんのエレキギターを借りてくださいました。前日に彼がチューニングをしてくださっていました。
お客様は、リューマチの持病がおありですが、なんと、軽快に弾けたのです。
私は、人目がなかったら、踊りだしていたでしょう。
美味しい紅茶と、チョコレートケーキをご馳走になりました。
ここは、京都の片田舎ですが人情のある町です。
いつか、お客様とツアーを組んで行きたくなりました。
5月16日に開店しましたが、10周年には30人ご招待をしたいですね。
そうそう、セブンイレブンと吉本がタイアップした関西限定の698円の<花月食堂弁当>を食べました。<野菜の炊いたん 焼きお揚げ包み>が面白かったです。
なんとか、桂庵で再現したくて、努力中です。ごきたいあーれ。
帰途、大津インターチェンジで、<カツカレー>と<カツ丼>を食べました。
とった,とった、とった、とたた、つつつーつつ てけてけてけてん。
と、私には聞こえます。とても、気に入っているので、桂庵の有線で、毎日、
必ずリクエストをしています。そして、誰も見てないことを確認して、踊ることにしています。エレキギターの音色は、ウキウキダイエットになるかな?
あるお客様は、大阪電気通信高校3年の文化祭で、この曲を弾かれたとのことです。当時は、土方のアルバイトがあり、中学の同級生と誘いあって、夏休みの20日間、
朝8時から夕5時まで働いて、エレキギターを買ったそうです。
練習は、週1日で、指導者もなく、楽譜もなかったそうですが、情熱があったのでしょう。
倉庫で練習し、楽譜を立ち読みして、覚えたそうです。
生活があって、転居を繰り返すなかで、40年忘れていたとのこと。
世話焼き桂庵の情熱がムクムク起動。
私の初恋の人は、35年前に、トヨタ勤務の傍ら、ありんこバンドといって、アリスの前座をしていました。連絡をとって、エレキギターをお客様に弾かせてあげて欲しいと頼みました。奥様にお願いしたら、息子さんのエレキギターを借りてくださいました。前日に彼がチューニングをしてくださっていました。
お客様は、リューマチの持病がおありですが、なんと、軽快に弾けたのです。
私は、人目がなかったら、踊りだしていたでしょう。
美味しい紅茶と、チョコレートケーキをご馳走になりました。
ここは、京都の片田舎ですが人情のある町です。
いつか、お客様とツアーを組んで行きたくなりました。
5月16日に開店しましたが、10周年には30人ご招待をしたいですね。
そうそう、セブンイレブンと吉本がタイアップした関西限定の698円の<花月食堂弁当>を食べました。<野菜の炊いたん 焼きお揚げ包み>が面白かったです。
なんとか、桂庵で再現したくて、努力中です。ごきたいあーれ。
帰途、大津インターチェンジで、<カツカレー>と<カツ丼>を食べました。