はじめまして、とうふ屋桂庵と申します。
わたくし、ず〜っと、主婦をしておりますが、
じつは、30代の10年を、何とかして、日本一になりたくて、料理コンクールにアタックしましたが、ブロックアウト。
108枚の賞状を、燃やしたはずが、なぜか、一枚だけ残っていました。
その、コンクールだけは、、レシピをみて、プロと、アマの味競演と言う趣向でしたが、結局のところ、店を持つことになりまして、7年目になります。
生家は、日露戦争の年に、米屋から、とうふ屋になりました。
<とうふって、こんな味だったの>と、よろこんでいただけたなら、ハッピー。
<マシンガントーク>になるほど、熱く料理のことを、語ることもあります。
どんなことでも、きいてください。
とうふ屋桂庵 松尾桂子拝
わたくし、ず〜っと、主婦をしておりますが、
じつは、30代の10年を、何とかして、日本一になりたくて、料理コンクールにアタックしましたが、ブロックアウト。
108枚の賞状を、燃やしたはずが、なぜか、一枚だけ残っていました。
その、コンクールだけは、、レシピをみて、プロと、アマの味競演と言う趣向でしたが、結局のところ、店を持つことになりまして、7年目になります。
生家は、日露戦争の年に、米屋から、とうふ屋になりました。
<とうふって、こんな味だったの>と、よろこんでいただけたなら、ハッピー。
<マシンガントーク>になるほど、熱く料理のことを、語ることもあります。
どんなことでも、きいてください。
とうふ屋桂庵 松尾桂子拝