からふる

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keian 2009-11-25 7:47
キッチン用品のカラフルなものが気になります。
私は、自分がにぎやかですから、極力、色を抑えた品物を選んできましたが、シリコン製の洗い桶や、水切りざるなんて、楽しそうに思えてなりません。シリコンは、軽量で熱に強くてやわらかな素材です。ものにもよりますが、約-30~260℃までの対応します。レンジもオーブンも使えます。水切りざるのままで、ねじって、オニスラの塩もみも水分絞りもできるそうですが、、、私の持っているものは、スパチュラ1本です。ベージュです。
きれいな色があったら、もう1本買いたくなりました。

今日は森永さんが、郡上の奥、白鳥町、白山の長滝寺に連れて行ってくださいました。
森永製菓にお勤めというわけではありませんが、創業者の森永太一郎氏の末裔にあたるかたのようです。
天台宗の古いお寺でしたが、なによりも、銀杏の木が立派でした。
階段を上がって振り返ってみると、洞のように真ん中に、空が抜けています。
銀杏の葉の重なりは、紅葉のような派手さがない分、遠近があります。
絵心がなくても、描きたくなりました。
4Bの鉛筆をもっていませんでしたので、ボールぺんで描きました。
鉛筆で描くと、消しゴムで消したり、ぼかしたりで時間がかかります。ボールぺんは単純な線だけですが、あっという間に描けます。
僅かな時間の感動を森永さんと共有しただけですが、この銀杏は忘れられないでしょう。

安井曾太郎画伯の言葉
K 強調
H 変形
S 省略と教えてくださいましたが、中学校の美術の教科書を思い出しました。
水彩画は白を使わずして、白を表現し、油絵は黒を使わずして、黒を表現する。
感動で、心とうらはらに頭が混線しそうです。
私は、いま、黄色の絵の具と、朱赤の絵の具の減り具合をみています。
 
郡上までは、針葉樹が多くて、奥に入るほど広葉樹が多くなる。
あそこをみてごらんと指をさしてくださったのは、メタセコイヤです。この木の名も初めて知りました。

きょう

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keian 2009-11-24 7:32
私は筆を持つのが苦手です。
料理屋をはじめるまえに、短歌を一年たらず、俳句を一年、日本画を1年習いましたが、
動機が不純でしたので、これも得意ではありません。
お客様に、とうふ屋桂庵の思いが少しでも伝わるように、お品書きやご案内にいろをそえるべく、恥かき承知でかかせていただいております。

そんななかで、よいことに出会いましたのでお知らせします。
加藤正次さん<71歳>の書です。
偶然にも、よし子の店で、よい言葉と聞き、早速、ロイヤルの書道展<三人展>に出かけてきました。
 協
 競争は人の心を乱す
 協奏は人の心を美しくする
昨日のブログにも書きましたが、競争で一番を決めることは、数字の伸びはあっても、
努力の評価とは、別物になってしまいます。
努力って、報われないことが多いんです。ただ、努力をしなかった人が成功することは、
ほとんどないのでしょうが、、、
もっとも、うちの松尾とくさんにいわせると、
<笛吹きゃ踊るというわけやない、わたいは、一生懸命に吹いたのに、子供は勉強せんかった>
私にいわせると
<子供の好きな歌を吹かんかったでやわ>

子供を勉強させる努力をしたからといって、子どもが勉強するとは限らないというわけです。
私は、小学校4年生の算数を間違えるまで、子供に勉強を教えました。
お菓子を作るのに夢中だったので、うちへきた子供の友達にいっぱい食べてもらい、
寺子屋よろしくとばかり、<ケド><カド>を教えていました。
そのころの覚書をみると、どのこにも、このこにも、私が教わっていたように思います。

あの、素敵な書をかかれた加藤さんは、展覧会と同じ紙で同じ心で100枚かかれたそうです。それを、資源別回収のGOMIとしてだされたそうですから、惜しい。私は欲しい。
もらってきて、山茶花を描きたくなりました。これこそ、加藤さんには
ご無礼ですが、協奏曲です。加藤さんは、40歳半ばで書をはじめられましたが、素敵な紳士です。お話できて嬉しかったので、元気よく名前住所を
書かせていただきました。

きしょうもん

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keian 2009-11-23 10:41
起請文というのは、自分の言葉に、嘘偽りがないことを、神仏に誓う文書のことです。
江戸時代には、男女が変わらぬ愛を誓ってとりかわしたとのことです。
変わらぬ愛が存在することを信じられることは、若いということかな?
 
タバコが好きな人にとっては、こんな禁煙の風潮になることなんて信じられなかったでしょうにね。歩きタバコなんて、ダンディーの極みと思って、若い頃に吸い始めたのでしょうにね。
通勤の朝,、さわやかな空気の中で、前を歩いている人がタバコを吸うと、煙が後方に流れて、後ろの人が迷惑をするというわけです。後ろの人がダッシュで前に出るという発想は、
若い人にも、若くない人にもなさそうです。
私は、タバコを吸いませんが、タバコを吸う男は好きです。
だって、いい男ほど、慌てません。騒ぎません。本当は苦しくても助けてと言いません。
女の方が子供を産むだけでも強いのです。男の方が弱いのです。それを保っていくには、
タバコは、ダンディーの極みだと思いませんか?

昨日は、かわいい双子の美樹ちゃんと美和ちゃんにいい話をききました。
美和ちゃんの子供に名をつけるにあたり、二人の一字づつをとりたかったそうですが、
樹和<きわ>とつけられなかったそうです。人として和していくことと、大きな樹になることは難しいのだそうです。競争なくして成長はありえなく、また、大きく根をはえば、歩きタバコのごとく、知らぬ間に誰かの不愉快になることもありえるのだからだそうです。

みんな、一緒に歩いていけると信じられることじたいが、現代の起請文なのかもしれません。
鳩山首相が、オバマ大統領に語った言葉は<トラスト・ミー>です。
<私を信じて>は、若いのかな?、、、、、、<悪いようにせんよ>の囁きにきこえませんか?
私を信じてと相手に求めるよりも、自分がしたことを信じることで、私は生きてきました。
タバコは吸いませんが、タバコの匂いがする男が好きになりました。

きんつぎ

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keian 2009-11-22 10:30
脚本家の小山内美江子氏によると、
60歳からの国際ボランティア活動は、
<お金のある人はお金を、知恵のある人は知恵を。そして体力のある人は行動を>と
語っています。私は行動を起こすためにはお金をと、死に物狂いで3年働きましたが、
行動を起こしてみては、お金が全くなくなりました。
私の耳の形からすると、お金はあっても流れるそうです。
ものすっごくお金があっても行動を起こさないで、利息の計算一筋の知人からすれば、
愚か者でしょうかね。

と、いったところで、金継ぎの話です。
お気に入りの器が欠けたり、割れたりしたときに、なんとかして継ごうということで
す。骨董屋さんの仕事では、本漆を使って下地をととのえ、金や銀をのせていきます。
本漆を使えば、見栄えは格段にちがいますが、とても、かぶれやすく、昨日のブログにも
書きましたが、絶対的な湿度と埃対策が必要です。
そもそも、直しながら使うということは、つましいを通り越して、破損した部分を逆に魅力に変えてしまうという、茶人の粋なんです。
もっとも、関西ではこの粋を転じて、変わった人、つまり、大多数から外れた一人を、<茶人でんなあ>と茶化すところがあります。
本漆を使うことが、根気よくないといけませんが、接着力が強く、防湿防腐性もあるので、
これで、下地をこなしてこそ、金、銀をのせる価値もあり、器も価値がでます。

ちょっと、話がとびますが、数学者の藤原正彦氏が、小学校6年生の授業の折に、新聞紙を半分に折ることを、次々と繰り返していくと、どれだけの高さになるかと、問われました。厚さ0.1ミリの新聞紙が26回で、富士山の高さになるそうです。本漆を塗る作業もこれとおなじです。行動を起こしているうちに、劇的瞬間があるということかな?
骨董屋さんに頼むことを気おくれするときに、仏壇屋さんに頼むという手もありますが、
そのまえに器をみることです。何回も見ていても、魅力を感じたら行動します。

ふろふきだいこん

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keian 2009-11-21 10:37
日本全国どこへいっても、大根はあり。
ご当地大根でいえば、練馬にあらず。2メートルになるのは、守口大根です。
もともと、大阪の守口でつくられていましたが、いまでは長良川河畔でのみ栽培されています。40年くらい前までは、岐阜市則武が主たる生産でしたが、羽島でつくり、出荷が
則武ということもありえそうです。
短いのは、亀戸大根。20日でできるのは、二〇日大根。
まん丸は、聖護院大根。最大のものは、桜島大根。
なんでも、虫たちが飛んでくると、いろいろな花粉で原形が進化するために、虫がつかないように、ハウスで受粉させて、形をかえない努力をしているとのことです。

 霜月においしいのは、風呂吹き大根です。
漆の乾きがわるくて、困ったときに、高僧から、大根のゆで汁で風呂<乾燥室兼貯蔵室>に霧を吹けと教わり、そのあとの大根に味噌をつけて食べたら美味しかったというのが、謂われとされています。
 
大根は米のとぎ汁でしたゆでしてと、お料理番組では教えられるみたいですが、
桂庵では、米をひとにぎり、四分の一カップ位を加えてしたゆでします。
昭和63年に福岡市の福永寿枝さん<当時80歳を超えておられたと思います>のやりかたは、ういろう大根として、米2合を加えておられました。
謂われではありませんが、大根を食べるためのレシピですから、何度も試作して、ひとにぎりとなりました。米のでんぷん質はすべて、ゆで汁のとろみとくさみぬきになります。
ゆで汁をこしたあとの御飯はたべられなくはありませんが、美味しくてこたえられないものではありません。捨てては罰が当たると、私ひとりのおひる御飯に食べられる限界の
量がひとにぎりなのです。大根1本分でも2本分でも、ひとにぎりの米です。

大根の面取りは、あまりしません。
大根は繊維質なので、らんぼうにあつかわなければ、煮くずれません。それよりも、縁があったほうが、美味しいお味噌をたっぷりとのせることができます。

さけよ

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keian 2009-11-19 7:53
 今日は、主婦のことを書く日ですが、昨日、おひとりさまごはんということで、一人用の土鍋のことを書きそびれて、ちょっと視点がずれてきました。
女の気持ということで、このブログは、ひとり歩きをしだしたのかもしれません。
 毎日、よし子の店に、とうふを1丁買ってもらっています。
よし子の店ではありますが、毎朝5時から6時に出てくるということで、私のファンもいてくださいます。
よし子の店のお客様は、多彩です。
悲しい酒を呑まずにおれない方もおみえなら、明日のことを考えないで、おごっちゃう陽気な方もおみえです。
また、こうちゃんは、ひとりで黙って呑んでます。

悲しい酒を呑んでも、あばれても、悲しいことを忘れることはできません。
酔いがさめたら、現実が待ってます。
よし子は、自分がよその店で呑むときは、絶対に悲しい酒を呑まんと決めています。
うちで呑めば原価なのに、そとで呑めば、高い酒です。
楽しく呑まなかったら、損というわけです。
  
うちの、松尾とくさんの亡くなった亭主は、無類の酒好きでした。
消防署勤務という、不規則な仕事だったからでしょうか?
一日おきに、あびるほど呑んでました。
<そとで呑まんかったから、わたいも、量のチェックが甘かった。>と彼女は申します。
遺品のとっくりは、2合はたっぷりとはいります。
これでも、お銚子1本にちがいありませんからね。
<わたいが、一日油揚げをあげても、こんだけにしかならんのに、こうも
稼いできてくれる。呑まな持たんくらい、勤めがえらかったんやろ>と
彼女は申します。
呑むも呑ませるも、気は意地で持つ。意地は気で持つ。
270円の瓶ビールを525円で売るのですから、私は、楽しい酒はもちろん悲しい酒も、働く意欲の酒になるようにしたいと思っています。

  よし子の<おつかれ^^>のお見送りの言葉は最高です。

おひとりさま

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keian 2009-11-18 9:52
私は、いつも、おひとりさまで外食してきたくせに、
おひとりさまのお客様が苦手です。
こまったもんだと、ただいま、思案中です。
京都のような<しまつ>な町でも、おひとりさまをのぞむご時世です。
ひとりでも、入りやすい店は、どんな店なのでしょうか?
フランス文学者の鹿島茂氏が、潮9月号に、文豪バルザックの言葉から
引いて、自信の標語にしているものがあります。
<進みながら、強くなる>
バルザックは、事業を起こしては失敗。借金返済のために、小説を書き。
また、失敗。その繰り返しで名作を残しました。
何が、失敗で成功なのか、わかりませんね。
 とうふ屋桂庵も進みながら、強くはなくても、続けていきます。
続けていくためには、進んでいたします。
というわけで、ご予約いただければ、おひとりさまもお受けします。
よろしく、お願いします。

 TBSのドラマ<深夜食堂>で、あがた森魚氏が、流しの役で
バターライスを注文するところがありました。
 バターライスって、おひとりさまごはんって感じがしませんか?
自分が作って食べる分には、または、一緒に食べる分には、いいけど
商売として作るには、親子丼を作るくらいの心がけが必要です。
量が多くても、少しでも、炊き立てご飯の熱で、バターがさーっと
溶けて、底に、ほんの少しの粘りで到達するくらいの加減がむずかしい。
 いま、これを書いていて、三階から、一階の松尾さいさんの台所まで
いってきたところです。ジャーのごはんを30グラムとバターを3グラム
もらってきて、お雛様のお茶碗ほどで、食べてみましたが、むつかしいね。
 トーストにマーガリンの家庭では、バターって、どこにしまっているのでしょうね。松尾とくさんは、おひとりさまの暮らしの中で、冷凍庫が、全くからであることから、冷凍庫に義理立てして、バターだけ入ってます。 
50年間、主婦をなさってきて、そのうちの30年間は、共稼ぎの息子夫婦の台所を完全にまかなってきたすみえさん。
80歳をこえても、彼女は、畑仕事もこなし、保存食もこなしのスーパーおばあちゃんですが<ポテトチップ>で過ごすときもありとのこと。
 いま、お雛様ほどのバターごはんを食べながら、考えています。
とうふ屋桂庵の今までどうりのコースだけでない道も進んでこそかな?

かわかむり

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keian 2009-11-17 7:55
かわかむりならぬかわばかり。
なんといっていいでしょうか?
フランスパンの皮<クラスト>が好きという人と。
フランスパンのなかみ<クラム>が好きという人と。

フランスパンは、砂糖、塩、油脂がきわめて少ない配合で作られています。

日本のフランスパンを,
本場をしのぐかというレベルになさったのは、1954年に来日された、レイモン・カルベル氏であります。
当時、日本でパンといえば、食パンか、あんパンなどの和製菓子パンでした。
カルベル氏は、全国各地をフランスパン専用の窯とともにまわり、製粉の仕方から、基礎技術を実演指導をされました。
やわらかいだけのパンしか知らなかった日本人に、フランスパンの独特の食感、その魅力を教えてくださった、いわば,パンの文明開化です。
<パン屋は鉄の手とベルベッドの手 二つの手を持たなければならない>という、
フランスの諺がありますが、、
発酵状態により、生地をしめたり、しめすぎないようにと経験が、命のパンです。

 私は、小学校1年生のころ、伊奈波神社の近くの神田屋という店で敷島製パンの
フランスパンを買ったことを覚えています。
お店のおじさんは、
<しおかれえ、かてえパンや。やめとき>と、三角形のクリームデニッシュをすすめてくれたからです。あんパンでなかったところが、おじさんも私も楽しいでしょう。

それでも、めげずに私はフランスパンを買ってたべました。
そのあと流行り出したバゲットではなく、フォンデュといわれるような二つ山のかわいいパンでしたね。ソントンジャムをペタコン・ペタコンとたっぷりぬって食べたのかな?
その頃の松尾家には、トースターなるものはなかったような気がします。食パンには、
マーガリンでなく、冷たいバターを薄く切ってはさんでいましたから、真中にはさんで
食べたのかもしれません。

私は、残念ながら、カルベル氏にはお会いしたことはありませんが、カルベル氏のお弟子は、日本に5万とおみえです。

けいぞく

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keian 2009-11-16 10:06
 京都の田舎に福知山というところがありまして、雅もさることながら、
鄙にはまれな、風情に人情があります。
そこで、生れ育ちの30年来の友人がいてくれます。そして、ご自身は
PCをさわられないのに、このブログの熱烈なファンでいてくれます。
彼女とカウントしてみたら、今日で、163回です。ありがとうございます。ちなみに、200回は、12月29日の予定です。
 回を重ねるうちに、私の手から離れた文章にせざるをえないことも
何度かありましたが、続けてこれたのは、読んでくださる皆様のおかげです。
 岐阜のこと、とうふやのこと、それから、縁のあった人とのこと、
それらを縦軸に、美味しいものの話や、気になる話を横軸に書いていこうと
思っています。
 主婦にとうふ屋は、毎日のこと。予約が入れば、お菓子を作って売る。
予約がはいれば、いらっしゃいませと料理屋の女将。
よく、このブログが続くねと、皆さんがいってくださいます。
いそがしすぎて、失敗も山ほどありますが、それよりも、寝る時間を
作るのが上手なのかもしれません。
もともと、とうふ屋に昼寝はつきものと、ベッドなどない時代から、
万年床のように、布団をひとながれは、用意しておりました。
<もう、あかん>と思ったら、お天道様には申し訳ありませんが、寝ます。
<また、まだいける>と思ったら、お月さまには申し訳ありませんが、
ずっと、起きてます。
昼間の電気のつけっぱなしは、気をつけていますが、夜はつけっぱなしで、
朝を迎えることもあります。また、テレビを寝て観ることは、あまりないですが、新聞、書籍は、寝てみます。お行儀がわるいね。

 でも、たぶん続けてこられたのは、こんなことで、体力と時間のバランスを
とっていたのでしょうか?
やじろべえも、続いて動いていれば、たおれえへんやん。

継続は力なり。それ以上に若さなり。
 松尾神社のお参りは、今日で105日目であります。
一軒おいて隣のたけこさんは、18年間休まないで、階段をずっとあがった
奥の院までお参りされております。彼女は80歳をこえていますが、
かないません。私は階段をあがらないで、参道の入り口の松尾神社です。

そばちょこ

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keian 2009-11-15 9:27
松尾とくさんから、電話がかかりました。
ぜんざいをつくったから、とりにおいでとのことです。
えっ、朝から、という皆様の声が聞こえてきそうですが、松尾家では、当然のことでした。
人よりも、早く起きて、仕事をしているので、すぐにエネルギーになるものを好むのでしょうね。ものすっごく、また、目方もあるのに、糖尿病には、あまり縁がなさそうです。
 おろしたてのお椀によそってくれましたが、台所で、ちょこっと味見をさせてもらうには、傍らのそばちょこもわるくありません。
 ちょうど、一茂くんからのトークが、そばちょこです・
昭和56年のことですが、東京工業大学の教授であられました秋岡芳夫氏のグループモノ・モノに魅かれていました。
モノがあふれるなかで、使い易いものを使っていたら、一器多様ということです。
大きな器は、尺一と尺二 直径33cmと36㎝を使い、あとは、ほとんどとりわけようの5寸のうどん皿と称する、深めの皿とそばちょこのみということ。
そばちょこは、とりわけ用ではなくても、一人用の盛り付けにもなる。
おひたしを、あえものを盛ったり、茶碗蒸しも作ったりする。
食事だけでなく、お茶、コーヒーも飲むし、酒も飲む。
これだけ、使うということは、それだけ、目に触れるということで、鑑賞に堪えれるものということで、ずいぶんに骨董品に関心を持ちました。
そばちょこの直径は、2寸5分7.5㎝で、これはビールびんと同じで握りやすい寸法です。上から下までのすとんとした深い器は、昔の箱膳という一人用のテーブルにぴったりとしたのかな?
食器の揃え方なんて、その家の暮らしできまるんだから、なんてことはないんですが、
古伊万里のものなどが、ずらっと、棚に並んでいるのを拝見すると、<ええねえ>。

 ただ、日本料理の盛り付けというと、
最大の欠点があり。
底が平らなので、汁溜がないことです。
煮物など、持ってみるとよくわかります。それを知っての一器多様です。
 
〒500-8034 岐阜県岐阜市本町 5-23
TEL : (058)-262-4015
FAX : (058)-262-4015
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