春の代名詞
松尾神社への入り口近くの、桜が咲いております。
とりあえずは、1本の木だけですが、例年にないことで、
狂い咲き、ボケ咲きというのかな?
一茂くんからの発信は桜です。桜をめでることは、古代以来の精霊信仰にあります。
桜の咲き具合で、1年間の穀物の実りや、吉凶を占ったわけです。
花が美しく咲けば、その年は、豊作、花開きが思うようにならなかったり、短かったりすれば凶作と占ってきました。そこで、鎮花<はなしずめ>の祭りが行われ、有名なところでは、京都の今宮神社のやすらい祭です。
^^やーとみくさのはなや、やすらいのはなや^^と
花傘の下で踊るそうです。この祭りのときは、行ったことはありませんが、ここの
あぶり餅はわざわざ、食べに行ってきました。ほんの一口の餅をちぎって、
黄粉をまぶして焼いて、白みそのたれがかけてあります。値段は忘れましたが、一人分が竹串10本です。お茶はサービス。
食い気から色気にもどります。
ほんのり、桜色なんて、美しさを表現しますが、図案としての桜も、美しいです。
単純明快ながら、組み合わせによって、千変万化なところが面白いですね。
また、器として、年間通して、つかえるように、紅葉と取り合わせることが多いかな?
<雲錦>といいますが、桜は霞のようにたなびくということから、雲で、紅葉は、散って川に流れるさまを、錦とします。
また、愛知県の小原村が有名ですが、四季桜といって、年2回、紅葉の頃にも咲く桜があります。
日蓮上人の誕生日は、10月ですが、このときにも桜が咲いたとされ、<御会式>では、桜の飾りをもらってきます。
ありがたいことに、今年は、法華寺のお花見のお弁当をお引き受けさせていただきました。
一年がかりで、取り組まさせていただき、このことで、彼とのリンクもかけがえのない、太いものになりました。本当は心細かったのです。意地ではなく、心。心は人との縁で太くも細くもなります。心に感謝です。
松尾神社への入り口近くの、桜が咲いております。
とりあえずは、1本の木だけですが、例年にないことで、
狂い咲き、ボケ咲きというのかな?
一茂くんからの発信は桜です。桜をめでることは、古代以来の精霊信仰にあります。
桜の咲き具合で、1年間の穀物の実りや、吉凶を占ったわけです。
花が美しく咲けば、その年は、豊作、花開きが思うようにならなかったり、短かったりすれば凶作と占ってきました。そこで、鎮花<はなしずめ>の祭りが行われ、有名なところでは、京都の今宮神社のやすらい祭です。
^^やーとみくさのはなや、やすらいのはなや^^と
花傘の下で踊るそうです。この祭りのときは、行ったことはありませんが、ここの
あぶり餅はわざわざ、食べに行ってきました。ほんの一口の餅をちぎって、
黄粉をまぶして焼いて、白みそのたれがかけてあります。値段は忘れましたが、一人分が竹串10本です。お茶はサービス。
食い気から色気にもどります。
ほんのり、桜色なんて、美しさを表現しますが、図案としての桜も、美しいです。
単純明快ながら、組み合わせによって、千変万化なところが面白いですね。
また、器として、年間通して、つかえるように、紅葉と取り合わせることが多いかな?
<雲錦>といいますが、桜は霞のようにたなびくということから、雲で、紅葉は、散って川に流れるさまを、錦とします。
また、愛知県の小原村が有名ですが、四季桜といって、年2回、紅葉の頃にも咲く桜があります。
日蓮上人の誕生日は、10月ですが、このときにも桜が咲いたとされ、<御会式>では、桜の飾りをもらってきます。
ありがたいことに、今年は、法華寺のお花見のお弁当をお引き受けさせていただきました。
一年がかりで、取り組まさせていただき、このことで、彼とのリンクもかけがえのない、太いものになりました。本当は心細かったのです。意地ではなく、心。心は人との縁で太くも細くもなります。心に感謝です。
手抜きと手まめの秘訣
コロッケが嫌いという人は、あまり、いないと思いますが、
自分でお芋をつぶして作る人も、あまり、いないと思います。
美味しい銘柄のコロッケを知っている人は、どうかな?
冷凍食品を揚げたり、買ってきたりにもこだわりがあるのかな?
冷凍食品のパッケージに書いてある方法とは、別の方法を伝授します。
油が冷たいうちにいれます。
フライパンも冷たいままです。
冷たいままのコロッケです。
強火にかけます。
4つのつが合言葉。ただし、油の量はひたひたです。
これを、間違えると、悲惨です。揚げたてでも、はじけたコロッケを食べることになります。
コロッケの形が、こわれないように、高温の油に入れ、周りの衣に火が通ったら、
中身のガードができました。中がなまにならないように、火を小さくして、じっくりと
熱々になるまで揚げるときは、泳ぐような油の量で、中華鍋で揚げていました。
発想の転換は、お芋をつぶすのと同じ、<てまめ>であることと、今日は、やっと、認識しました。知識も<てぬき>のための<てまめ>の実践。
さて、お芋をつぶして作ったときに、丁寧に薄力粉を茶こしでふるいかけるお料理番組がありましたが、、、、これは、強力粉をひろげておいて、ころがす<てぬき>をしましょう。
グルテンの弱い、薄力粉を薄くつけていたら、お芋がバラバラになります。しっかりとガードすることです
カツとかフライとかとちがって、じゃがいもには、加熱してかたまる力はありません。ただし、パン粉との接着材になる、卵のときかたは、<てぬき>しないように、必ず、水と塩を加えて、よくときます。
卵1個に水大さじ1と塩小さじ4分の1で、卵白のぬめりがとれます。これを揚げるときは、たっぷりの油で、コロッケをいれて1分で、キツネ色になるように、180度に熱しておきます。
コロッケを、小さく作ると冷凍することができますが、冷凍したコロッケを揚げるときは
このブログの最初にもどってください。
コロッケが嫌いという人は、あまり、いないと思いますが、
自分でお芋をつぶして作る人も、あまり、いないと思います。
美味しい銘柄のコロッケを知っている人は、どうかな?
冷凍食品を揚げたり、買ってきたりにもこだわりがあるのかな?
冷凍食品のパッケージに書いてある方法とは、別の方法を伝授します。
油が冷たいうちにいれます。
フライパンも冷たいままです。
冷たいままのコロッケです。
強火にかけます。
4つのつが合言葉。ただし、油の量はひたひたです。
これを、間違えると、悲惨です。揚げたてでも、はじけたコロッケを食べることになります。
コロッケの形が、こわれないように、高温の油に入れ、周りの衣に火が通ったら、
中身のガードができました。中がなまにならないように、火を小さくして、じっくりと
熱々になるまで揚げるときは、泳ぐような油の量で、中華鍋で揚げていました。
発想の転換は、お芋をつぶすのと同じ、<てまめ>であることと、今日は、やっと、認識しました。知識も<てぬき>のための<てまめ>の実践。
さて、お芋をつぶして作ったときに、丁寧に薄力粉を茶こしでふるいかけるお料理番組がありましたが、、、、これは、強力粉をひろげておいて、ころがす<てぬき>をしましょう。
グルテンの弱い、薄力粉を薄くつけていたら、お芋がバラバラになります。しっかりとガードすることです
カツとかフライとかとちがって、じゃがいもには、加熱してかたまる力はありません。ただし、パン粉との接着材になる、卵のときかたは、<てぬき>しないように、必ず、水と塩を加えて、よくときます。
卵1個に水大さじ1と塩小さじ4分の1で、卵白のぬめりがとれます。これを揚げるときは、たっぷりの油で、コロッケをいれて1分で、キツネ色になるように、180度に熱しておきます。
コロッケを、小さく作ると冷凍することができますが、冷凍したコロッケを揚げるときは
このブログの最初にもどってください。
今朝の毎日日新聞に大学競争―国立大法人化の功罪として、興味深い記事が載っておりました。
年子の娘が、二人とも、大阪外国語大学、スワヒリ語科でした。名誉なことですが、大阪大学と統合しました。2007年9月に、大阪外国語大学という旧漢字の看板が取り外されました。
岐阜では、名が知られてなかったのですが、人様に、紹介するときは、
同級生の秀才の森瀬ラジオの娘、のっちゃんの名を挙げ、司馬遼太郎の名を挙げていました。
<まことかいかに?>。太平洋戦争のときに、アジア、アフリカ方面のスパイの諜報活動のためにつくられた学校であると、聞かされたこともあります。ちなみに、東京外国語大学は、ヨーロッパ、アメリカ方面だそうですが、オセアニアはどうなったのでしょうか?そのころは、ニューギニアしかなかったのかな?
上の娘の合格発表のときは、岐阜で案じていても仕方がないとばかりに、車を出しました。
あちらからの不合格の連絡がきたら、もどればいいと、必死に運転していたら、この看板の前まできても,ありませんでした。この看板が、<いいから、みておいで>と微笑んでくれたように思います。合格の名を確認した娘は、ゴムまりのように、飛び出してきました。
もう、嬉しくて、あちらこちらへの土産を買いまくりました。と、いっても、そこは
計算高いとうふ屋桂庵。京都で、亀屋良長さんへ立ち寄り、一陽来複という銘のお菓子を買いました。かねてから、一陽来福でなく一陽来複と変わっていたことが気になっていたからであります。ちなみに、ここのお店は、あまり知られてはおりませんが、よく知られている御池煎餅の亀屋良永さんよりも老舗であります。
有知、無知に限らず、生き残りは変わることかも知れませんね。
ブログのファンの方からも、朝日新聞 3月20日付けの桂三枝さんの記事となぞらえて、<お客様のため、変わっていいよ>
それが、生き残ることとメールをいただきました。感謝
年子の娘が、二人とも、大阪外国語大学、スワヒリ語科でした。名誉なことですが、大阪大学と統合しました。2007年9月に、大阪外国語大学という旧漢字の看板が取り外されました。
岐阜では、名が知られてなかったのですが、人様に、紹介するときは、
同級生の秀才の森瀬ラジオの娘、のっちゃんの名を挙げ、司馬遼太郎の名を挙げていました。
<まことかいかに?>。太平洋戦争のときに、アジア、アフリカ方面のスパイの諜報活動のためにつくられた学校であると、聞かされたこともあります。ちなみに、東京外国語大学は、ヨーロッパ、アメリカ方面だそうですが、オセアニアはどうなったのでしょうか?そのころは、ニューギニアしかなかったのかな?
上の娘の合格発表のときは、岐阜で案じていても仕方がないとばかりに、車を出しました。
あちらからの不合格の連絡がきたら、もどればいいと、必死に運転していたら、この看板の前まできても,ありませんでした。この看板が、<いいから、みておいで>と微笑んでくれたように思います。合格の名を確認した娘は、ゴムまりのように、飛び出してきました。
もう、嬉しくて、あちらこちらへの土産を買いまくりました。と、いっても、そこは
計算高いとうふ屋桂庵。京都で、亀屋良長さんへ立ち寄り、一陽来複という銘のお菓子を買いました。かねてから、一陽来福でなく一陽来複と変わっていたことが気になっていたからであります。ちなみに、ここのお店は、あまり知られてはおりませんが、よく知られている御池煎餅の亀屋良永さんよりも老舗であります。
有知、無知に限らず、生き残りは変わることかも知れませんね。
ブログのファンの方からも、朝日新聞 3月20日付けの桂三枝さんの記事となぞらえて、<お客様のため、変わっていいよ>
それが、生き残ることとメールをいただきました。感謝
「ずんどう」って、どこからきたのかな?
上から下まで、おなじ太さの鍋をいいますが、日本の鍋との決定的な差は、
上がひらいていないことです。
だから、水分の蒸発具合がちがってきます。
わかりやすいのは、何時間煮込むといわないで、水位で、ここまで煮込むとすることかな?
ビーフシチューや、ドミグラスソースを作るには、欠かせませんが、これで、鮎の甘露煮を作ると、悲劇なこともありえます。
煮上がると同時に、水分を素材が吸ってくれて、からっとではなく、しっとりとする、こんな、煮物のセンスは、日本人の感性でしか作れないものなんです。
誰でも、そうですが、自分の経験というかな?自国の料理になぞらえて、とらえます。
例をあげると、フランス人に、錦糸卵を教えると、薄焼き卵を、自国のクレープのように
パリパリに焼きます。
日本人に、クレープを教えると、薄焼き卵のように、しっとりと、焼きます。
パスタをゆでるのに、憧れて、寸胴鍋を買った年配の独り暮らしの女性がいますが、鍋の重さよりも、それに入る水の重さに、ギブアップ。一度でお蔵入りだそうです。
<つかわない?>とお声をかけていただきましたが、、、
残念なことに、彼女は値段にも惚れこんでかったようです。
薄くて、このぺこぺこでは、ソースを作る過程のソテーができません。
底板の厚さが、直径15センチの鍋でも、2.0ミリあるような、プロ仕様がいいな?
底板の重い分だけ、負担を軽くと、アルミの打ち出し鍋になっているものもありますが、
ソースを入れっぱなしでも、永遠に腐食しないような、モリブデン鋼の物など、何倍してもいいなと思いますが、持っていません。買いたくても、下内屋さんで、買ったアルミの、
直径36センチの寸胴鍋があるので、おけません。
これは、普段は、干物いれです。いまは、いただきものの、日高昆布が入っています。
これは、このブログのファンの方が、、1キロ送ってくださったものです。この鍋いっぱいに昆布だしをとりたいくらいや。
上から下まで、おなじ太さの鍋をいいますが、日本の鍋との決定的な差は、
上がひらいていないことです。
だから、水分の蒸発具合がちがってきます。
わかりやすいのは、何時間煮込むといわないで、水位で、ここまで煮込むとすることかな?
ビーフシチューや、ドミグラスソースを作るには、欠かせませんが、これで、鮎の甘露煮を作ると、悲劇なこともありえます。
煮上がると同時に、水分を素材が吸ってくれて、からっとではなく、しっとりとする、こんな、煮物のセンスは、日本人の感性でしか作れないものなんです。
誰でも、そうですが、自分の経験というかな?自国の料理になぞらえて、とらえます。
例をあげると、フランス人に、錦糸卵を教えると、薄焼き卵を、自国のクレープのように
パリパリに焼きます。
日本人に、クレープを教えると、薄焼き卵のように、しっとりと、焼きます。
パスタをゆでるのに、憧れて、寸胴鍋を買った年配の独り暮らしの女性がいますが、鍋の重さよりも、それに入る水の重さに、ギブアップ。一度でお蔵入りだそうです。
<つかわない?>とお声をかけていただきましたが、、、
残念なことに、彼女は値段にも惚れこんでかったようです。
薄くて、このぺこぺこでは、ソースを作る過程のソテーができません。
底板の厚さが、直径15センチの鍋でも、2.0ミリあるような、プロ仕様がいいな?
底板の重い分だけ、負担を軽くと、アルミの打ち出し鍋になっているものもありますが、
ソースを入れっぱなしでも、永遠に腐食しないような、モリブデン鋼の物など、何倍してもいいなと思いますが、持っていません。買いたくても、下内屋さんで、買ったアルミの、
直径36センチの寸胴鍋があるので、おけません。
これは、普段は、干物いれです。いまは、いただきものの、日高昆布が入っています。
これは、このブログのファンの方が、、1キロ送ってくださったものです。この鍋いっぱいに昆布だしをとりたいくらいや。
コマル★
松尾家の丸揚げは、とても美味しかったと、廃業して1年になるのに
言っていただきます。
そして、<なんで、あんたがやらんの?>と言っていただきます。
ありがとうございます。
私は、自分の望みがあって、とうふ屋桂庵というとうふを食べてもらう
店を持ちましたが、いまだに、この丸揚げを作れません。
料理屋らしく、材料に贅沢をして、飛龍頭なるものは作れます。
たぶん、どこの料理屋よりも、美味しいと思いますが、とうふ屋の作る
素材としての丸揚げは、松尾さいさん、松尾とくさんを生涯、超えられないでしょう。丸揚げの注文をいただく度に、作れば作るほど、思います。
加える山芋を増やせば、美味しくなるようなものなんですが、とうふの
もつ底力を引き出すというのでしょうか?
とうふの絞り加減とすり加減はかないません。
きっと、いくつ、作ったかの経験に勝るものはないってことかな?
また、松尾太郎くんの作るとうふには、2世を尽くしても、かなわない
かもしれません。私は、松尾家が大好きです。とうふ屋が大好きです。
生まれ変わっても、ここの家に来たいです。
ところで、料理屋としての意地で引き受けた、花見弁当ですが、、、
こうちゃんに言われました。
<意地やないで。何で、作るんや>と。
こうちゃんのそばで、ゆっくりと考えていたら、涙が流れてしかたがありません。
魚勝さんは、松尾家の小丸の大ファンでいてくださいました。
<かっつあが、なあ>と、松尾太郎くんの見舞いにいく度に話題になりますが、本当に御贔屓にしてくださいました。
年数と売った数は一番でした。思いきって、お訪ねしましたところ、
私の応援団になってくださいました。これで、仕入れの心配が、半分になりました。
ちなみに小丸というのは、普通の大きさの4分の1の大きさの丸揚げです。
小丸はコマル。結果は花丸。
コマルのは、私を泣かせたこうちゃんかな?こうちゃんのもとに行かせた
配偶者かな?
松尾家の丸揚げは、とても美味しかったと、廃業して1年になるのに
言っていただきます。
そして、<なんで、あんたがやらんの?>と言っていただきます。
ありがとうございます。
私は、自分の望みがあって、とうふ屋桂庵というとうふを食べてもらう
店を持ちましたが、いまだに、この丸揚げを作れません。
料理屋らしく、材料に贅沢をして、飛龍頭なるものは作れます。
たぶん、どこの料理屋よりも、美味しいと思いますが、とうふ屋の作る
素材としての丸揚げは、松尾さいさん、松尾とくさんを生涯、超えられないでしょう。丸揚げの注文をいただく度に、作れば作るほど、思います。
加える山芋を増やせば、美味しくなるようなものなんですが、とうふの
もつ底力を引き出すというのでしょうか?
とうふの絞り加減とすり加減はかないません。
きっと、いくつ、作ったかの経験に勝るものはないってことかな?
また、松尾太郎くんの作るとうふには、2世を尽くしても、かなわない
かもしれません。私は、松尾家が大好きです。とうふ屋が大好きです。
生まれ変わっても、ここの家に来たいです。
ところで、料理屋としての意地で引き受けた、花見弁当ですが、、、
こうちゃんに言われました。
<意地やないで。何で、作るんや>と。
こうちゃんのそばで、ゆっくりと考えていたら、涙が流れてしかたがありません。
魚勝さんは、松尾家の小丸の大ファンでいてくださいました。
<かっつあが、なあ>と、松尾太郎くんの見舞いにいく度に話題になりますが、本当に御贔屓にしてくださいました。
年数と売った数は一番でした。思いきって、お訪ねしましたところ、
私の応援団になってくださいました。これで、仕入れの心配が、半分になりました。
ちなみに小丸というのは、普通の大きさの4分の1の大きさの丸揚げです。
小丸はコマル。結果は花丸。
コマルのは、私を泣かせたこうちゃんかな?こうちゃんのもとに行かせた
配偶者かな?
はてな?
もう、ろくなことない。
そう、思ったら、若い人が助けてくれました。
車で、メガネを轢いてしまったのが発端で、今日は、駐禁。
メガネは、5万円の賞月堂から、5250円の眼鏡市場に買い替えたことになりました。まあ、それは、ええわ。もう、免許更新2回は済んでいるので
もとは、とれたでしょう?
高いメガネを買った時は、他人の目を意識して、私をいかに、美しくみせるかが、判断基準でした。
安いメガネを買った時は、自分の目で、いかに、私が美しくなくなったかを
克明に教えてくれました。カラーがはいっていないだけでも、
車のバックミラーの精度並みに、シワとシミ、タルミ、クスミを、表現してくれます。
駐車禁止の件は、親切は親を切ると書くと教えてくれました。
同業者にお金を貸しました。
私は、全くの素人で店を持つことが不安だったのです。
同業の仲間が欲しかったのです。家族には恵まれていますので、欲張りにすぎませんが、こちらから、貸してあげると立候補しました。
利息をとらないかわりに、絶対に返してもらうつもりで、1日1000えん
集金にいきます。それを、その都度、郵便局の定額貯金にいれます。
日にちと金額は国が保証してくれると、誠意のつもりでした。
今日も集金にいって、車を店の真ん前にとめたら、移動を丁寧に
頼まれました。前方不注意でした。
交差点から、1.4メートル以内というおまけまでついて、減点3点
罰金18000円になりました。どうも、おむかえのマンションの方が
親切に、中署に通報してくださったわけです。
23日にまでに納付しなくてはなりません。
落ち込んでいたら、全く関係のない若い人が、おまじないをしてくれました。
自分のあっぽを喋る私も?だけど、
真剣に、ちちんぷいのぷいを動作も大きくしてくれたのは、笑ってしまいませんか?楽しくなってきました。ありがとうね。やっぱり、他人にかかわって生きていくのが、私に似合っているわ。18001円、作ったら、1えんのプラスやて。
もう、ろくなことない。
そう、思ったら、若い人が助けてくれました。
車で、メガネを轢いてしまったのが発端で、今日は、駐禁。
メガネは、5万円の賞月堂から、5250円の眼鏡市場に買い替えたことになりました。まあ、それは、ええわ。もう、免許更新2回は済んでいるので
もとは、とれたでしょう?
高いメガネを買った時は、他人の目を意識して、私をいかに、美しくみせるかが、判断基準でした。
安いメガネを買った時は、自分の目で、いかに、私が美しくなくなったかを
克明に教えてくれました。カラーがはいっていないだけでも、
車のバックミラーの精度並みに、シワとシミ、タルミ、クスミを、表現してくれます。
駐車禁止の件は、親切は親を切ると書くと教えてくれました。
同業者にお金を貸しました。
私は、全くの素人で店を持つことが不安だったのです。
同業の仲間が欲しかったのです。家族には恵まれていますので、欲張りにすぎませんが、こちらから、貸してあげると立候補しました。
利息をとらないかわりに、絶対に返してもらうつもりで、1日1000えん
集金にいきます。それを、その都度、郵便局の定額貯金にいれます。
日にちと金額は国が保証してくれると、誠意のつもりでした。
今日も集金にいって、車を店の真ん前にとめたら、移動を丁寧に
頼まれました。前方不注意でした。
交差点から、1.4メートル以内というおまけまでついて、減点3点
罰金18000円になりました。どうも、おむかえのマンションの方が
親切に、中署に通報してくださったわけです。
23日にまでに納付しなくてはなりません。
落ち込んでいたら、全く関係のない若い人が、おまじないをしてくれました。
自分のあっぽを喋る私も?だけど、
真剣に、ちちんぷいのぷいを動作も大きくしてくれたのは、笑ってしまいませんか?楽しくなってきました。ありがとうね。やっぱり、他人にかかわって生きていくのが、私に似合っているわ。18001円、作ったら、1えんのプラスやて。
切子についての質問です。本当に一茂くんからの発信は、前日直前なので、
1本勝負の即答みたいなもので、タメになります。
カットガラスのことです。
カットグラスともいい、ガラス容器の球面を研磨して、カドカドをつけたもの。ササン朝ペルシャで量産されて、世界各地へ運ばれ、日本でも、正倉院御持中に伝わったものです。
江戸末期には、江戸や薩摩で生産されております。
大昔には、白く透明なガラスが、江戸切子、色をつけた被せガラスが、薩摩切子と特徴づけがあったともききますが、私が、デパートの物産展などで、聞いた限りでは、現在では、この点における区別はされておらないようです。
それよりも、日本製に、圧倒的な値段の差をつけた中国のものを思います。100円ショップでも買えることは魅力ではありましょうが、私は、むしろ、残念に思います。
安価に中国で、ビール瓶も製造されていますが、成分がちがうのでしょうか?
割った時の、切り口すら、ちがいます。強度と鋭利さがありません。
どういうことかというと、美味しんぼという漫画のなかで、ガラスの破片でかつおぶしを
薄く削るという場面がありますが、アレができません。
だから、ガス台の下に、大切に10年以上前にもらった、破片をしまっています。
伝統的なカットの模様は、矢来と格子の組み合わせでできております。矢来よりも、細かくカットして、間に平面を残さないものもありますが、これは魚子といいます。
麻の葉。
六角籠目は薩摩切子に多いようです。八角切子
菊籠目は一番難しいとのこと。笹の葉,菊、七宝など。
33年以上まえのことですが、当時、少し好きだったひとに、バカラのオールドファッショングラスに手作りチョコレートを入れて、贈りましたが、
カットグラスの美しさがつうじませんでした。
私は、そのおかげで、つうじる人と結ばれました。関市の警察前の
アンティークあんで、一〇〇〇〇〇〇円のカットグラスを買うような人です。
1本勝負の即答みたいなもので、タメになります。
カットガラスのことです。
カットグラスともいい、ガラス容器の球面を研磨して、カドカドをつけたもの。ササン朝ペルシャで量産されて、世界各地へ運ばれ、日本でも、正倉院御持中に伝わったものです。
江戸末期には、江戸や薩摩で生産されております。
大昔には、白く透明なガラスが、江戸切子、色をつけた被せガラスが、薩摩切子と特徴づけがあったともききますが、私が、デパートの物産展などで、聞いた限りでは、現在では、この点における区別はされておらないようです。
それよりも、日本製に、圧倒的な値段の差をつけた中国のものを思います。100円ショップでも買えることは魅力ではありましょうが、私は、むしろ、残念に思います。
安価に中国で、ビール瓶も製造されていますが、成分がちがうのでしょうか?
割った時の、切り口すら、ちがいます。強度と鋭利さがありません。
どういうことかというと、美味しんぼという漫画のなかで、ガラスの破片でかつおぶしを
薄く削るという場面がありますが、アレができません。
だから、ガス台の下に、大切に10年以上前にもらった、破片をしまっています。
伝統的なカットの模様は、矢来と格子の組み合わせでできております。矢来よりも、細かくカットして、間に平面を残さないものもありますが、これは魚子といいます。
麻の葉。
六角籠目は薩摩切子に多いようです。八角切子
菊籠目は一番難しいとのこと。笹の葉,菊、七宝など。
33年以上まえのことですが、当時、少し好きだったひとに、バカラのオールドファッショングラスに手作りチョコレートを入れて、贈りましたが、
カットグラスの美しさがつうじませんでした。
私は、そのおかげで、つうじる人と結ばれました。関市の警察前の
アンティークあんで、一〇〇〇〇〇〇円のカットグラスを買うような人です。
4月1日の花見弁当の予約を頂戴しました。
松尾家は、法華寺の檀家ですが、このたびは、ご住職の肝煎りで、
引き受けさせていただくことになりました。
私を育ててやろうというお心です。ありがとうございます。
法華寺は、矢島町にあります。
信長によって、清州からこの地についてきましたが、信長よりも5代前とされております。山門にご注目。境内から見上げると左右に切妻屋根。これこそ、城郭の門で高麗門といわれております。岐阜城移築の現存門とされております。歴史博物館には、信長からの安堵状もあずけられております。
信長の位牌は、ここのお寺で、お願いすれば、みせていただけます。また、ここには、信長のお手植えの松の木がありました。
清州から、もちこんだとされておりますが、戦前には、市内のどこからでも
見えて、岐阜町四十四町の目印だったと、松尾太郎くんはいいます。
終戦になっても、ハワイからのGIは、必ず、訪ねてきたといいます。
きっと、民族を、国を超えてのなにか、徳があるのでしょう。
この、松の木が、松喰い虫にやられてから、賑やかにしようと
檀家が桜の木を植えました。お花見の春には、一般の人にも公開しているので、本当に賑やかになります。数がまとまりますので、とうふ屋桂庵の
正念場になります。
お話をいただいてから、一年ががりでとりくみました。
そのおかげで、一茂くんとは、無類の親友になりました。
なにかを起こそうとするときは、勇気だけでは、足りません。
勇気に共鳴してくださるお方あってです。
松尾とくさんは、法華寺の案内の葉書をみて、心配してくれております。
名誉は達成してこそと、超辛口のコメントを頂戴してきました。
それから、ブログのファンの皆様へ、
こうちゃんとのかかわりで、2晩ほど、半徹夜状態でした。
アップが遅れたりしてごめんなさい。
ひとのために、料理はもちろんですが、洗濯したり、掃除したり
裁縫したりが、大好きだと、我ながら納得。私は、主婦が大好きです。
介護がないだけ、まだまだ、半人前の主婦ですが、これは、松尾さいさんが
現役でいてくれるからこそです。だから、ひとのために、世話を焼くことができます。本当にみなさんありがとう。
松尾家は、法華寺の檀家ですが、このたびは、ご住職の肝煎りで、
引き受けさせていただくことになりました。
私を育ててやろうというお心です。ありがとうございます。
法華寺は、矢島町にあります。
信長によって、清州からこの地についてきましたが、信長よりも5代前とされております。山門にご注目。境内から見上げると左右に切妻屋根。これこそ、城郭の門で高麗門といわれております。岐阜城移築の現存門とされております。歴史博物館には、信長からの安堵状もあずけられております。
信長の位牌は、ここのお寺で、お願いすれば、みせていただけます。また、ここには、信長のお手植えの松の木がありました。
清州から、もちこんだとされておりますが、戦前には、市内のどこからでも
見えて、岐阜町四十四町の目印だったと、松尾太郎くんはいいます。
終戦になっても、ハワイからのGIは、必ず、訪ねてきたといいます。
きっと、民族を、国を超えてのなにか、徳があるのでしょう。
この、松の木が、松喰い虫にやられてから、賑やかにしようと
檀家が桜の木を植えました。お花見の春には、一般の人にも公開しているので、本当に賑やかになります。数がまとまりますので、とうふ屋桂庵の
正念場になります。
お話をいただいてから、一年ががりでとりくみました。
そのおかげで、一茂くんとは、無類の親友になりました。
なにかを起こそうとするときは、勇気だけでは、足りません。
勇気に共鳴してくださるお方あってです。
松尾とくさんは、法華寺の案内の葉書をみて、心配してくれております。
名誉は達成してこそと、超辛口のコメントを頂戴してきました。
それから、ブログのファンの皆様へ、
こうちゃんとのかかわりで、2晩ほど、半徹夜状態でした。
アップが遅れたりしてごめんなさい。
ひとのために、料理はもちろんですが、洗濯したり、掃除したり
裁縫したりが、大好きだと、我ながら納得。私は、主婦が大好きです。
介護がないだけ、まだまだ、半人前の主婦ですが、これは、松尾さいさんが
現役でいてくれるからこそです。だから、ひとのために、世話を焼くことができます。本当にみなさんありがとう。
手が動くことはいいことだ。
昭和7年生まれの松尾さいさんや、8年生まれの松尾とくさんと
話していると、<あのひとは手が動くでいい>と主婦の才覚をほめます。
この才覚とは、リフォームをいいます。
古い着物をほどいて、洋服を作ったり、サイズの合わない服を直したりできる人は、本当に羨ましい。
私は、裁縫は苦手な分野です。ボタンつけとすそ上げしかできません。
ブランド物を格安で買ったときに、松尾さいさんに教わって、ウエスト
直しをしましたが、もう、一度で降参しました。
彼女たちの年代は、本当に偉いね。昼間はとうふ屋を手伝い、夜間に
それぞれ、習い事に通ってました。花嫁修業は、絶対に大事。
手が動くことは、何でも作れる。人様の分まで作れるほどなら、晩のおかず代以上の才覚、<みいり>になります。
立派な人、今なら素敵な人にもらってもらおうと思ったら、自分もその
レベルに努力するという健気さであります。二人にわからんこと
聞くと本当によう知っとるわ。
私は、洋裁は、妊娠中に3カ月、高島屋のカルチャースクールに通った
だけです。マタニティウエアーを3着作る予定が2着で、それも、ほとんどが先生作。
ただ、ひとつ続けているのは、一年に一度新調する、晒の木綿1反でつくるふきんです。
裏表どちらもないように、折り返しを互い違いに作ります。
今年は、初めて、間違えました。手が動いても、心も動いていたのでしょう?これだけは、贅沢に大胆に使います。ガーゼのように、生地が柔らかくなってきたら、これで、なべつかみを作ります。
3回たたむと、15センチ角になり、12センチの円形のなべつかみが作れます。思い入れのある服のはぎれをとっておき、上下はさんで、ミシンデキルティングをしますが、このときこそ、ミシンのご機嫌をとれない自分を思います。針折ったこと、数知れず。
才覚はないけど、気風のいい料理仕事をしたいので、毎年作ります。
表裏がないように、たがいちがいに縫い代をとるのですが、今年は
初めて間違えました。表表となるのか?裏裏となるのか?
不景気風にあおられて、アメリカの正義を云々する、日本みたいですね。
せめて、このふきんで美味しいものを作ろうと思います。
ミートローフの形づけ。こしあん。ぶどうのジュースを絞る。みじん切りのパセリの水分をとる。締め鯖の汁けをぬぐう。と師に教わりましたが
いくつ、できているかな?
昭和7年生まれの松尾さいさんや、8年生まれの松尾とくさんと
話していると、<あのひとは手が動くでいい>と主婦の才覚をほめます。
この才覚とは、リフォームをいいます。
古い着物をほどいて、洋服を作ったり、サイズの合わない服を直したりできる人は、本当に羨ましい。
私は、裁縫は苦手な分野です。ボタンつけとすそ上げしかできません。
ブランド物を格安で買ったときに、松尾さいさんに教わって、ウエスト
直しをしましたが、もう、一度で降参しました。
彼女たちの年代は、本当に偉いね。昼間はとうふ屋を手伝い、夜間に
それぞれ、習い事に通ってました。花嫁修業は、絶対に大事。
手が動くことは、何でも作れる。人様の分まで作れるほどなら、晩のおかず代以上の才覚、<みいり>になります。
立派な人、今なら素敵な人にもらってもらおうと思ったら、自分もその
レベルに努力するという健気さであります。二人にわからんこと
聞くと本当によう知っとるわ。
私は、洋裁は、妊娠中に3カ月、高島屋のカルチャースクールに通った
だけです。マタニティウエアーを3着作る予定が2着で、それも、ほとんどが先生作。
ただ、ひとつ続けているのは、一年に一度新調する、晒の木綿1反でつくるふきんです。
裏表どちらもないように、折り返しを互い違いに作ります。
今年は、初めて、間違えました。手が動いても、心も動いていたのでしょう?これだけは、贅沢に大胆に使います。ガーゼのように、生地が柔らかくなってきたら、これで、なべつかみを作ります。
3回たたむと、15センチ角になり、12センチの円形のなべつかみが作れます。思い入れのある服のはぎれをとっておき、上下はさんで、ミシンデキルティングをしますが、このときこそ、ミシンのご機嫌をとれない自分を思います。針折ったこと、数知れず。
才覚はないけど、気風のいい料理仕事をしたいので、毎年作ります。
表裏がないように、たがいちがいに縫い代をとるのですが、今年は
初めて間違えました。表表となるのか?裏裏となるのか?
不景気風にあおられて、アメリカの正義を云々する、日本みたいですね。
せめて、このふきんで美味しいものを作ろうと思います。
ミートローフの形づけ。こしあん。ぶどうのジュースを絞る。みじん切りのパセリの水分をとる。締め鯖の汁けをぬぐう。と師に教わりましたが
いくつ、できているかな?
物騒な話からです。
俺と一緒に死んでくれという場面には、アイスピックが似合います。
死んでもらいますは、ドスだそうです。
桂ちゃん、死ぬなら一緒と冗談にでも、言ってくださるお客様あってです。
ありがとうございます。
桂庵では、製氷機の氷ではなく、私が、アイスピックで氷を割って、
アイスペールでお出ししています。
ボトルをおろしていただいたときはサービスです。
先に、お代をいただいておりますからというわけです。
キープを飲んでいただいたときは、頂戴するときもあります。
こういった、アルコールの出し方は、お客様とのやりとりで決まりました。
アイスピックを持つ私をお客様が見守ってくださったのでしょうね。
アイスピックは、安価です。
下内屋さんで25年以上前に購入したものは、先が折れていますが、それでも、自宅用で、充分割れます。やながせの店を持ったときに、購入したものと変わらなく、役にたっています。
調理道具は、本来は鍋でも、フライパンでも、包丁でも、5年、10年。
あるいは一生と、命が長いものです。
それだけに、買うときは、ムードにつられてはいけません。
一生の伴侶というよりも、一緒に死んでくれるような相手を選ぶつもりで
買いましょう。
そのためには、置いておく場所です。一緒に暮らす場所です。
いつも、目につくけど、バトルの危険のないところに置きましょう。
出し入れが不自由では、役に立ちません。
最初から、買うと決めなかったものほど、長持ちするようです。
どうしても、あの道具が必要だ。代用品では、うまくいかない。
これなら、後悔しません。
アイスピックを持つたびに、思います。
氷を割ったときのように、メガネを割りました。
私の不注意です。
そのメガネをみせたら、あるお客様が、<買ってやろか>とおっしゃってくださいました。冗談でも、<一緒に死のか>くらいに、嬉しかったですね。
俺と一緒に死んでくれという場面には、アイスピックが似合います。
死んでもらいますは、ドスだそうです。
桂ちゃん、死ぬなら一緒と冗談にでも、言ってくださるお客様あってです。
ありがとうございます。
桂庵では、製氷機の氷ではなく、私が、アイスピックで氷を割って、
アイスペールでお出ししています。
ボトルをおろしていただいたときはサービスです。
先に、お代をいただいておりますからというわけです。
キープを飲んでいただいたときは、頂戴するときもあります。
こういった、アルコールの出し方は、お客様とのやりとりで決まりました。
アイスピックを持つ私をお客様が見守ってくださったのでしょうね。
アイスピックは、安価です。
下内屋さんで25年以上前に購入したものは、先が折れていますが、それでも、自宅用で、充分割れます。やながせの店を持ったときに、購入したものと変わらなく、役にたっています。
調理道具は、本来は鍋でも、フライパンでも、包丁でも、5年、10年。
あるいは一生と、命が長いものです。
それだけに、買うときは、ムードにつられてはいけません。
一生の伴侶というよりも、一緒に死んでくれるような相手を選ぶつもりで
買いましょう。
そのためには、置いておく場所です。一緒に暮らす場所です。
いつも、目につくけど、バトルの危険のないところに置きましょう。
出し入れが不自由では、役に立ちません。
最初から、買うと決めなかったものほど、長持ちするようです。
どうしても、あの道具が必要だ。代用品では、うまくいかない。
これなら、後悔しません。
アイスピックを持つたびに、思います。
氷を割ったときのように、メガネを割りました。
私の不注意です。
そのメガネをみせたら、あるお客様が、<買ってやろか>とおっしゃってくださいました。冗談でも、<一緒に死のか>くらいに、嬉しかったですね。